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2010年8月24日 (火)

アジアの中の日本、その役割と展望 (2)


変わる日本


 私が日本に来たのは1965年、オリンピックのあとでした。まだ学校の先生でも2人ぐらいしか車がなくて、ほとんどの先生は自転車で通っている時代でした。私たち5名留学生が来て、寮で下着とか洗うのに洗濯機ではなく板にギザギザしたもの(洗濯板)を与えられました。その時点の日本は、私から見ると伝統と文化、近代化あるいは機械化のバランスが取れた社会で、そして皆さんが極めて前向きだったように思います。

 その頃、私たち留学生は日本についての印象を聞かれると、前向きのことをいっぱい言えたんですね。日本人は親切である、勤勉である、礼儀正しい、公共心が強い。そして一番驚くのが、たとえば駅のベンチに物を置いたまま公衆電話をかけに行っても全く心配なかったし、駅のベンチに落書きをする人もいなかった。このような極めて安心、安全な国、アジアの他の国々に比べて豊かな国、社会の調和がとれた国、これがアジアの多くの国々が模範としたい国でした。

 1980年代の後半あたりから2つの現象があったと思うんです。1つは51年に国連が始まったとき、世の中には60カ国ぐらいしか主権国家は存在しませんでした。60年代になってアジア、アフリカのたくさんの国が独立しまして、80年代になると国連も百数十カ国になりました。数の上においてはアメリカも思うように出来なくなってきました。第三世界、非同盟諸国が国連の中で大派閥になってきたんです、そこでアメリカ、ヨーロッバの国々が、物事を決めるのに国連中心ではなく、その外、いわゆるG8の国々が物事を決めると。そのG8の中においても特にドイツと日本が新たに台頭してきた。それに対して、たとえば日本に対して銀行の利子が低すぎるとか、同時にマスコミを利用してメンタルな部分においていわゆる心理作戦ということも始めた。その中において、『日本の奇跡』という本がありました。日本は戦争に負けたはずなのになんでここまで成長したのか、それは奇跡だと。そのほかにもいろいろな本が出ましたが、共通していることは、何がそこまで強くしたかというと、それは日本人の公共心と属意識、会社に対する愛、忠誠心。会社が社員に対して家族のように、たとえば1人の人間を一人前にするのに相当の金をかけ、2年、3年かけて教育をする。そういう日本人の属意識と会社愛ということを、だんだんマスコミ等が悪であるかのように書き始めました。日本に対して、どこからとは言いませんが、そういう戦略があったように思います。ある意味で構造的に破壊するような働きがあったのではないかという気がしてなりません。

 それからもう一つ、熱病のように二大政党と言うけれども、それは社会の中に自然に発生するものであって無理やりつくるものではない。最初に政治.不安定になったのは、その政党の中に安定多数を持つ人がいて、それが政党を弱くし、それ以後、日本の政治は20年ぐらい安定していない。そして、エレベーターのように個人1人を上げたり下げたりして、この人が総理大臣になれば世の中は明るくなるようなことをマスコミが言い、まわりの政治家たちも、あるいは世論もそれに乗ってしまって、結果的に日本を弱体化したのではないか。アジアの人たちが模範とすべき国、世界でもっとも貧富の差の少ない、多くの人たちが自分たちは中流階級だという意識を持った国、こういう国を人的行為によって、あるいは特定の戦略によって弱体化してしまったと私は思っているんです。そのような中においては二大政党などできないですよ。二大政党は、それぞれが主義主張を持って、支持者も政治も頑張って、今度負けたら次は奪回しようという信念を持っていればなるけれど、こっちが勝ったからといって支持者たちまでそこになびいていったら、国が不安定になるだけで二大政党は生まれてこないと思います。 (つづく)

※『いわて経済同友』(通巻555号)より転載。いわて経済同友会第444回例会(平成22年7月12日)での講演録

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