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2010年10月

2010年10月17日 (日)

ガート・ヨハネス・グロブラー南アフリカ共和国駐日特命全権大使 〔第1回〕


「日本は戦略的に非常に重要なパートナーです」

ペマ・ギャルポ(以下、P) 今日まずお伺いしたいと思ったのは、おそらくいろんな方が大使をインタビューして、いろんなところに出ていると思いますけれど、読者の皆さんは、大使閣下は一体どんな方かと言うことに非常に興味があると思いますので、ご自身の今までの経歴やバックグラウンド、日本に来るまでのご経験などを簡単にご説明いただければと思います。

大使 まずは私のインタビューをしていただくことをうれしくまた名誉に思います。私は大使といたしましては実はアジアは初めてでございまして、今までヨーロッパ、アメリカ諸国を歴任してまいりました。たとえばヨーロッパでしたら、ドイツであったりイギリスであったり、スペインであったり、そしてアメリカにまいりました。また南アフリカの外交官として、アンゴラ、ルワンダに初めての事務所を開設いたしました。ということで、私といたしましては、日本に赴任するということを聞かされました時には本当に驚きました。それで日本に来る直前のポストといたしましては、外務省でヨーロッパ、アメリカの総局長をしておりました。

P  実際日本に来られて、恐らくこれもまた日本的な質問だと思いますが、このお仕事をされて今までの経験を踏まえて、日本でのお仕事をどういう風に受けとめられているのか、また日本人について、日本の印象などについて簡単にご意見を下さい。

大使 先ほども申し上げましたが、日本に赴任できたということを非常にうれしく名誉に思っております。と申しますのは第一に日本は南アフリカにとって戦略的に非常に重要なパートナーということです。また日本と南アフリカ2国間の協調関係というのは非常に良いものがあります。続いて申し上げますと2008年度は日本は南アフリカにとって第一位の貿易相手国でありました。ただ私が確信しておりますのが、経済が回復いたしましたら、また私どもへの日本からの投資、貿易が増えるのではないかと確信しております。残念ながら2008年度以降は世界的金融危機によって、日本が第一貿易相手国ではなくなってしまったのですが、それも回復すれば日本からの投資、貿易が増えるというように確信しています。
 2002年から2008年にかけてでございますが、日本と南アフリカ間の貿易に関してはとても大きな成長が見られました。それで先ほども申し上げましたけれども、経済が回復いたしましたら貿易も回復してくるだろうと確信しております。また日々の業務から申し上げますと今非常に大切にしておりますのが、いろんな日本の企業やビジネスの方とお会いすることでございまして、と言いますのはやはり、私といたしましては経済的な関係を強くすることが大事なことになってきているからです。当然日本からの関心というのは大変強いものがございまして、もちろんそれは日本以外の国からでも、南アフリカだけでなくBRICsと呼ばれる新興国に対しての興味というのは非常に大きいものがございますけれども、南アフリカといたしましては、日本の方々が南アフリカにとても強い関心を持ってくださっているのも非常に感じているところです。
 それで貿易のことから申し上げますと、今日本の企業で南アフリカに進出していただいているところが80から90社くらいあります。それは会社を出していたり、投資をしていただいているところということになりますが。それに南アフリカの大きな将来的なポテンシャルを考えていただいたり、あるいはここ5年から10年かけてインフラ整備がもっと進んでまいりますので、そうした時には日本と南アフリカの関係というのは将来的には非常に強い大きいものになっていくと考えます。インフラ整備に関しては、南アフリカは今後5年から10年の間に800億ドルほどかけようと考えています。それで例えば交通に関して言いましたら鉄道網であるとか、南アフリカの人々はとても新幹線の技術に興味を持っており、エネルギー分野でありましたらエネルギーを効率よく有効に使うための技術に興味を持っています。あるいは原子力の分野で日本に関心を持っています。逆に申し上げれば、こういった分野が日本にとっては大きな可能性のある分野になるのではないでしょうか?
 自動車に関してですが、トヨタ、日産のそれぞれのトップの方にお目にかかってお話しいたしましたところ、南アフリカにビジネスの拡大を考えているという風におっしゃいました。これはおそらく南アフリカで製造を続けるということだけではなく、南アフリカを通してアフリカ諸国だったり、あるいはヨーロッパに、ということを考えていると思います。
 先ほど戦略的なパートナーと申し上げましたが、実はこれは4月末に岡田外務大臣が南アフリカを訪問して下さいました時に、私どもの外務大臣、閣僚と話をいたしましたところ、日本と南アフリカの関係を戦略的なパートナーに格上げするという風にお話しをいただいたことがございます。この戦略的パートナーシップと言うのは三つの部分から構成されており、一つは2国間の経済的な結びつきをより拡大すること、経済的な関係の拡大に関して先ほど申し上げるのを忘れたかもしれませんけれども、もう一つの分野として自然資源とうものがございまして、これは私どもは日本の企業に買っていただくだけでなく、是非開発に参画していただいて関係をさらに強めていっていただきたいと考えております。恐らく南アフリカは世界で一番こういった戦略的な資源(鉱物)を保有している国ではないかと思います。
 二番目は日本と南アフリカがアフリカ全体の開発に向けて一緒に取り組んでいくということです。これに関しては先日岡田外相とお話しをいたしましたけれども、3国関係というものを構築したいと考えています。3国というのは日本と南アフリカだけでなく、もう一つの国がアフリカのどこかの国であるということで、3国関係を今後構築して行きたいと思っています。なにを目的としたものかと言いますと、例えば民主化を求めた良い統治であったり、経済的な開発であったり、平和維持といったことのために3国間の関係を開発できればと思っています。
 ということで一番目が経済関係、二番目がアフリカ全体における協力関係、そして三番目が私どもが考えておりますのが、より近い、より深い政治的対話を持つことです。これはテーマはアフリカに限らず世界的なテーマについて、環境問題であったり、軍縮であったり、国連の改革であったり、そういった多国間での対話に関わることを話し合いました。
 それから政治的な対話を深めることということで先ほど申し上げるのを忘れましたが、例えば世界的経済危機のようなものが起きました時に、私どもはアフリカにおいて唯一G20の参加国でございますので、こういった世界的な経済危機に関しましても日本とより密に話ができればと思っています。 (続く)

※『政界往来』(2010年11月号)より転載。

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重要性を増す『日印グローバルパートナーシップ』

1990年辺りから、冷戦が崩壊しアメリカでは新しい国際秩序の構築に伴い急激に中国とインドに注目し始めた。2020年前後を想定して様々なシンクタンクによる新しい世界戦略に関する提言と予測が発表された。それらの報告書の大方の見方としてはこれから中国が著しく成長し、アジアの覇権を狙うようになり、アメリカの地位を脅かすことにつながると警告した。
 その中国に対抗し得る国としてインドがそれまでと違う評価を受けるようになった。人口的、経済的、地政学的にインドの重要性を強調する一方、インドと中国という新しく新しく台頭してきた二大勢力が手を組む可能性をも危惧し始めた。クリントン政権の末期になってオルブライト国務長官はインドを「無限の可能性を持つ国」と持ち上げ、クリントン大統領は自らインドへ足を運び、「この国はもはや後進国ではなく先進国である」と賞賛した。
 長きに渡って続いたインドとアメリカの冷却時代は一転して友好関係に転じた。1997年のインドの核実験に対しても日本政府は強硬な手段に出て閣僚級の会議、ODAの停止など厳しい処置を取った。一方アメリカは建前上の儀式的に議会による批判決議をしたものの、逆に経済交流を促進し、特にIT関係分野において飛躍的に関係の密度を上げた。アメリカを始めとする西洋メディアもBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の一員としてインドの存在を必然的に認めた。
 しかしながら日本のマスコミは残念ながら依然としてインドを貧困国扱いしてきた。2000年代になりやっと日本が重い腰を上げ、森首相が2000年8月にインドを訪問し、各地で熱烈な歓迎を受けインドとの間に日印グローバルパートナーシップの構築に合意した。ITの発達とともに日本でもインドの「0」の発見を再発見したかのように、インド人は頭がよいとかアメリカのシリコンバレーでは沢山のインド人が活躍しているから日本もこのような人材を獲得しなければならない、などと言う人が現れたが、具体的な動きはすれに伴うことは無かった。
 2000年の森首相のインド訪問に関しても、外務省当局は命令に従って業務を行うような姿勢で当時官房長官だった安倍晋三氏と在日インド大使館の高官が事態を憂い、様々な苦労と工夫をしていた。つまり外務官僚ですらもインドに関してはその重要性、未来の可能性に対してそれほど認識をしていない中、メディアも冷めた態度しか見せなかった。それから5年が過ぎ、2005年に小泉首相がインドを訪問しグローバルパートナーシップを更に一歩進めた戦略的方向性を見出そうと持ちかけ、翌年12月インドのシン首相来日の際「日印戦略的グローバルパートナーシップ」構築に向けて具体的に取り組むことへの合意が確立された。
 そして安倍首相になってこの合意に基づいて実質化に向けたロードマップに合意した。安倍首相のインド訪問はインド各層、各方面の人々に日本との関係を実感させる温もりのあるものとして高い評価を得た。
1957年戦後日本の首相として初めてインドを訪問した岸信介の孫であるということもひとつのご縁として、輪廻とカルマを信じるインド人の興味と関心を誘ったかもしれない。特に安倍首相のカルカッタ訪問は日印の歴史的交流を再認識させるものであった。
 日本人なら誰もが知っているアジアで最初にノーベル文学賞を受賞した詩人にして岡倉天心から刺激を受け、アジアの有志ラベンドラ・ナット・タゴール氏はベンガル人であり、日本と共に大アジア主義を掲げて植民地支配から独立を目指し、インド国民から今でもニタジ(指導者の意)として尊敬されている英雄のチャンドラ・ボース氏、そして東京裁判で唯一戦争の茶番さを指摘し、東条英機大将以下の人々を一方的に裁くことに異議を唱えたパール判事はこのベンガル出身であった。
 安倍首相の訪問はこのような歴史を踏まえ、人間関係を重視するジェスチャーとして多くのインド人の心に届いたのである。2008年答礼訪問をしたシン首相の来日でこの日印戦略的グローバルパートナーシップは更に前進することになった。短命であった鳩山政権においても2009年12月、鳩山首相は忙しいスケジュールの中、この戦略的パートナーを重視しインドを訪問され、民主党の政権下においても更に前進して両国間において「プラス2」つまり両国の外務大臣、防衛大臣も互いに訪問し定期的に会議することを決めた。
 4年越しのEPA協定も2010年10月には締結する可能性が極めて大きくなった。現在の日印関係は日中関係に比較するとあらゆる面で1/30〜1/60になっている。例えば日中間に週70便以上の飛行機の往復があるのに中印間には7便程度であり、本国で活躍している日本語の堪能な中国人は13万人を越えるのに、印度では5千人程度である。在日中国人65万人に対し、在日インド人は2万2千人程度である。
 しかしオルブライト女史の言葉を借りるまでも無く、インドは11億を遙かに越える人口、特に4割方が若い年齢層であり、経済成長率も中国のような華やかさは無いものの着実に成長を続け今は9%の成長率を確保している。インドの原子力エネルギーに関してはアメリカ、ロシア、ドイツ、カナダなどは勿論オーストラリアや韓国ですらも積極的に関わっている今日、日本は遅ればせながら今巻き返すチャンスを得ようとしている。この両国の来たる首脳会談に期待すると共に、日本が今回のような中国の恫喝に屈しないためにも46年間日本とインドの関係を見守ってきた私としては地政学的、戦略的パートナーとして関係が前進することを願っている。

※『政界往来』(2010年11月号)より転載。

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2010年10月 3日 (日)

情けない菅内閣の尖閣対処


中国漁船長釈放の愚行
国家主権を放棄する大失態

 独立国日本は主権を放棄し、国家としての尊厳を失った。今回の中国漁船による日本の領土領海侵害に対する日本政府の対応は取り返しのつかない愚かな判断であったと思う。実に残念で情けない。

 日本の多くのマスコミは中国の漁船による公務執行妨害とか巡視艇への衝突を問題視していたが、これは根本的な問題のすり替えであり、そこに何らかの相手の国に対する配慮が働いているとすれば、それはお人よしすぎる。もし問題に気がついていないとすれば、国家国民としての感覚や認識が麻痺していることになる。

 また中国当局からのレアアースの輸出停止、閣僚レベルの協議中断、東シナ海のガス田交渉の延期、観光客の直前のキャンセルなど経済制裁のような恫喝、及びフジタ社員4名の拘束と称する拉致行為などに怯えて白旗を掲げてしまったのであれば、国家としての有事に対する危機管理の無さが指摘されなければならない。

 そもそもレアアースなど日本産業の「生命線」ともいえるような輸入先が一国だけに集中し、頼っていること自体が大きな問題である。それに加え経済制裁をチラつかせるだけで慌てる経済界のリーダーたちはこの国の将来に対して、また今後もあり得る危機に対して、一時的な利益のために国を売って良いと言うのだろうか。

 もう一つ問題にしなければならないのは、日本は自らアジアの成熟した民主主義国家、法治国家と自負し、これを誇っていたはずなのに、この度の政治による司法への悪しき介入は三権分離の根本を揺るがす行為である。記者会見で司法当局者は国と国民への影響を考え…と発言していたが、これは政治的な考慮をチラつかせる、ある意味で国民へ政治の介入を訴えているようにもみえた。

 ニューヨークで菅直人首相は「検察当局が事件の性質などを総合的に考慮し、国内法に基づいて粛々と判断した結果だ」とする発言も、事件の性質を考慮するなどという言い方自体も政治の介入を逆に匂わせている。処分保留のまま釈放せず、少なくともせめて一円の罰金を科し、日本の領土を侵した罪を明確にして釈放すべきであったと思う。

 さすがに今回は民主党政権を熱烈に応援してきた「日刊ゲンダイ」でさえもこのことに関し、「菅・仙谷 船長釈放 バカ丸出し」という見出しでその愚かさを指摘した。しかし大新聞は大人ぶっているのかメディアとしての中立性を維持しようとしているのか、極めて第三者的に「中国『謝罪と賠償』要求 船長釈放 対立長期化も」毎日夕刊(9・25)、「中国、謝罪と賠償金を要求 船長帰国 強硬な姿勢崩さず」朝日夕刊(9・25)という見出しをつけた。少しましな新聞の場合は「沖縄県尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に衝突した中国漁船の船長」と記して、少なくとも尖閣諸島が日本の沖縄県の一部であることを示している。従って、その沖縄県に中国の漁船が侵入してきたことは正に日本の領土を侵したことに他ならない。

 中国という国には自由に自国を出る自由も無ければ、自由にデモを行う権利なども認めていないことは誰よりも私がよく知っている。現在も自分の自由意志で現政権を批判したり、現政権の悪政から逃れようとして捕まった人々が沢山獄中生活を送っている。そもそも中国は70年ほど前までは現在のいわゆる中華人民共和国の4割位しか実効支配をしていなく、侵略を繰り返すことによって南モンゴル、ウィグル、チベットを次から次へと支配下におさめ今日の巨大な領土に膨れ上がった。

 つまり、侵略の立派な前科がある国である。そしてその侵略の牙を今、日本へと剥き出し始めたのである。日本人の中には呑気で小さな島くらいのことで両国の関係を悪化させてはならないとか、首相でさえも「戦略的互恵関係を深めるため、冷静に日中双方が努力しなければならない」と指摘している。

 だが、互恵関係というのは双方にその意思が無ければならないし、またお互いの主権を尊重し合わなければならない。例えば中国の法に触れ、日本人が麻薬の取引に関わったとして死刑にされたとき、日本は冷静に対応したはずだ。それに対して今回の中国政府の呆れた態度は逆切れであって、本来であれば日本国外務大臣が中国の大使を夜中に呼びつけて抗議すべきことであった。

 今回、日本国政府の対応は中国の圧力に屈するなどというものを越えて、主権を放棄し世界の尊敬を失わせる結果となった。もしこの上、北京政府の要求どおり謝罪したり、賠償金を支払ったら恥の上塗りだけでは済まない。中国の属国と成り下がり、チベット自治区、ウィグル自治区などに続いて中国の倭自治区への道の第一歩に他ならない。

 私は日本国民がこの深刻な事態に目覚め。自由意志によって国会議事堂や首相官邸がデモで埋め尽くされる…まで行かないにしても、これ以上、過ちを起こさないよう国民一人ひとりが救国の士としての意識をもって行動すべき時期ではないか。

※『世界日報』(2010年9月28日付)より転載。

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2010年10月 2日 (土)

小さくともきらりと光る

「小さくともきらりと光る国」というのはかつて菅直人現首相たちの政党だった「魁」のキャッチフレーズであったが、輝かないまま消えてしまった。しかし今、世界中から注目を集めている国がある。それがGNHつまり国民総幸福度で知られるブータン王国である。現在民主主義制度を導入し、立憲君主国として着実に近代化を歩み始めているこの国は、国王自ら60歳を定年とする画期的な制度を導入し、民主制度を革命や下から突きつけられてやむを得ず実行しているのではなく、国王が率先しリーダーシップを発揮して実現した民主主義である。国王は近代憲法を定めるにあたり草案を国民に説明し、国民の理解と意見を繁栄すべく二年間にわたり全国を隅々まで歩かれ、国民の総意を汲み上げて新憲法を制定した。そして50代で自ら王位を退き皇太子にその地位を譲り、現在は政党政治に基づく選挙で国民の信託を受けた与党第一党が政権を担当する形を取る。安定した政権がリーダーシップを発揮し着実に民主化も近代化も前進している。

 新政権の目標は出来るだけ早いうちに、つまり現政権のもとでODAなどに頼らなくても自立できるような自給自足の経済基盤を確立するという国家目標をビジョンのみならず現実的な政策実行をもって成し遂げようとしている。日本でも総務省によって幸福度を測るというような調査が行われているが、ブータンはこの国民幸福度の哲学を展開したのみならず、実際具体的な指数を打ち出すことによって72項目という包括的な調査によって国民の幸福度を測り、そしてGNPやGDPを否定するものではないがGDPは生産力や経済力を測ることは出来ても、それが国民の生活の豊かさや幸せそのものを保障するものではなく、もっと精神的、文化的な要素も大切であると言うことを強調している思想として注目されている。国民の医療、最低限度の教育は国家の責任において無償で行われており、能力に応じて留学の機会を積極的に与えることで高学歴の社会化にも進んでいる。

 国民1人が年に日本の木を植えるという政策から見えるように、環境保全にも力を入れ、国民が民族衣装を身に纏うことで伝統産業と文化を維持している面でも各界の注目を浴びている。

 日本国とは王室、皇室の交流を始め政府間の関係も極めて良好で現在ニューデリーの駐在大使が日本大使を兼務する一方、三名の名誉総領事、名誉領事が昨年任命され、両国のより一層の関係を深めるのに努力している。8月下旬首都ティンプーでこの方々と一緒に私もブータンへ出掛け現状を調査研究の予定でいるので、いずれ紙面で報告できると思う。ブータンの動向は今後多くの国々の模範となるよう期待している。

※『政界往来』(2010年10月号)より転載。

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