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2010年10月17日 (日)

重要性を増す『日印グローバルパートナーシップ』

1990年辺りから、冷戦が崩壊しアメリカでは新しい国際秩序の構築に伴い急激に中国とインドに注目し始めた。2020年前後を想定して様々なシンクタンクによる新しい世界戦略に関する提言と予測が発表された。それらの報告書の大方の見方としてはこれから中国が著しく成長し、アジアの覇権を狙うようになり、アメリカの地位を脅かすことにつながると警告した。
 その中国に対抗し得る国としてインドがそれまでと違う評価を受けるようになった。人口的、経済的、地政学的にインドの重要性を強調する一方、インドと中国という新しく新しく台頭してきた二大勢力が手を組む可能性をも危惧し始めた。クリントン政権の末期になってオルブライト国務長官はインドを「無限の可能性を持つ国」と持ち上げ、クリントン大統領は自らインドへ足を運び、「この国はもはや後進国ではなく先進国である」と賞賛した。
 長きに渡って続いたインドとアメリカの冷却時代は一転して友好関係に転じた。1997年のインドの核実験に対しても日本政府は強硬な手段に出て閣僚級の会議、ODAの停止など厳しい処置を取った。一方アメリカは建前上の儀式的に議会による批判決議をしたものの、逆に経済交流を促進し、特にIT関係分野において飛躍的に関係の密度を上げた。アメリカを始めとする西洋メディアもBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の一員としてインドの存在を必然的に認めた。
 しかしながら日本のマスコミは残念ながら依然としてインドを貧困国扱いしてきた。2000年代になりやっと日本が重い腰を上げ、森首相が2000年8月にインドを訪問し、各地で熱烈な歓迎を受けインドとの間に日印グローバルパートナーシップの構築に合意した。ITの発達とともに日本でもインドの「0」の発見を再発見したかのように、インド人は頭がよいとかアメリカのシリコンバレーでは沢山のインド人が活躍しているから日本もこのような人材を獲得しなければならない、などと言う人が現れたが、具体的な動きはすれに伴うことは無かった。
 2000年の森首相のインド訪問に関しても、外務省当局は命令に従って業務を行うような姿勢で当時官房長官だった安倍晋三氏と在日インド大使館の高官が事態を憂い、様々な苦労と工夫をしていた。つまり外務官僚ですらもインドに関してはその重要性、未来の可能性に対してそれほど認識をしていない中、メディアも冷めた態度しか見せなかった。それから5年が過ぎ、2005年に小泉首相がインドを訪問しグローバルパートナーシップを更に一歩進めた戦略的方向性を見出そうと持ちかけ、翌年12月インドのシン首相来日の際「日印戦略的グローバルパートナーシップ」構築に向けて具体的に取り組むことへの合意が確立された。
 そして安倍首相になってこの合意に基づいて実質化に向けたロードマップに合意した。安倍首相のインド訪問はインド各層、各方面の人々に日本との関係を実感させる温もりのあるものとして高い評価を得た。
1957年戦後日本の首相として初めてインドを訪問した岸信介の孫であるということもひとつのご縁として、輪廻とカルマを信じるインド人の興味と関心を誘ったかもしれない。特に安倍首相のカルカッタ訪問は日印の歴史的交流を再認識させるものであった。
 日本人なら誰もが知っているアジアで最初にノーベル文学賞を受賞した詩人にして岡倉天心から刺激を受け、アジアの有志ラベンドラ・ナット・タゴール氏はベンガル人であり、日本と共に大アジア主義を掲げて植民地支配から独立を目指し、インド国民から今でもニタジ(指導者の意)として尊敬されている英雄のチャンドラ・ボース氏、そして東京裁判で唯一戦争の茶番さを指摘し、東条英機大将以下の人々を一方的に裁くことに異議を唱えたパール判事はこのベンガル出身であった。
 安倍首相の訪問はこのような歴史を踏まえ、人間関係を重視するジェスチャーとして多くのインド人の心に届いたのである。2008年答礼訪問をしたシン首相の来日でこの日印戦略的グローバルパートナーシップは更に前進することになった。短命であった鳩山政権においても2009年12月、鳩山首相は忙しいスケジュールの中、この戦略的パートナーを重視しインドを訪問され、民主党の政権下においても更に前進して両国間において「プラス2」つまり両国の外務大臣、防衛大臣も互いに訪問し定期的に会議することを決めた。
 4年越しのEPA協定も2010年10月には締結する可能性が極めて大きくなった。現在の日印関係は日中関係に比較するとあらゆる面で1/30〜1/60になっている。例えば日中間に週70便以上の飛行機の往復があるのに中印間には7便程度であり、本国で活躍している日本語の堪能な中国人は13万人を越えるのに、印度では5千人程度である。在日中国人65万人に対し、在日インド人は2万2千人程度である。
 しかしオルブライト女史の言葉を借りるまでも無く、インドは11億を遙かに越える人口、特に4割方が若い年齢層であり、経済成長率も中国のような華やかさは無いものの着実に成長を続け今は9%の成長率を確保している。インドの原子力エネルギーに関してはアメリカ、ロシア、ドイツ、カナダなどは勿論オーストラリアや韓国ですらも積極的に関わっている今日、日本は遅ればせながら今巻き返すチャンスを得ようとしている。この両国の来たる首脳会談に期待すると共に、日本が今回のような中国の恫喝に屈しないためにも46年間日本とインドの関係を見守ってきた私としては地政学的、戦略的パートナーとして関係が前進することを願っている。

※『政界往来』(2010年11月号)より転載。

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