« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月

2010年12月26日 (日)

ガート・ヨハネス・グロブラー南アフリカ共和国駐日特命全権大使 〔第3回〕

「何があろうと、南アフリカと日本は、相互に信頼し、尊敬しあう」

ペマ・ギャルポ(以下P) 前号で、ワールドカップ開催が南アフリカにもたらす影響について政治的、経済的な面からお話しいただきましたが、大使がご自身で感じられていることは何かありますか?

大使 たまたま昨日アメリカ大使館に独立記念日のお祝いで行ってきたのですが、そこでロイターの記者に会いまして、彼が言うには「正直なところ私は南アフリカがうまくやれるのか心配していました。でも南アフリカからの報告はすべて前向きなものばかりでした。心から大使にお祝いを申し上げたい」と言ってくれました。
 先ほど経済効果や投資効果や観光効果について申し上げましたが、もう一方で何よりも大事なのは、南アフリカの人々がこれを通して自信を持ったということ、結果、決断力を持ったということがあります。これがワールドカップのもう一つの政治的な波及効果になっていくと思います。これは初めてアフリカ大陸で開催されたワールドカップということで、自信や決断力を持ったのは南アフリカの人たちだけでなく、アフリカ諸国の人たちも同じように持っていただいていると思うのです。私だけでなく、他のアフリカ諸国の大使の人たちも、今日本で同じような気持ちを持ってくれていると思います。

P 質問事項に無い関連質問になりますが、私はスポーツオンチなので、もしかしたら既にやっているのかもしれませんが、この延長線上でゲーム、あるいはオリンピックを主催するという可能性はありますか?

大使 実際には私どもは1995年にラグビーのワールドカップをやっておりまして、それがこの前インビクタスという映画にもなっているのですが、それ以外にもクリケットの国際試合もやっております。ですから当然、ワールドカップの次は何だ?ということでオリンピックのことも考えていると思います。特に今回のワールドカップは10都市で開催されました。10都市で開催するのは非常にコーディネーションが難しかったのですが、オリンピックは基本的に1都市開催ですから、10都市でできたのだから、1都市ではそんなに難しくないと当然思っているだろうと思います。

P 最後の質問になりますが、世界中、そして日本にもネルソン・マンデラ氏の哲学、人格に共鳴している人たちが沢山います。私も今まで2回ほど南アフリカ大使館を通してテレビ局と一緒に行こうという手紙を出したのですが、そのまま宙に浮いたままになっています。その後マンデラ氏の健康の問題になったのですが、今はどうなさっているのかということに読者の方が関心があると思いますので、最近のご様子を。
 あと例えば観光というのとは違うとは思いますが、一種のピルグリメージとして、ネルソン・マンデラ氏に会いに行きたいという学生がいたら、それが可能かどうかということをお聞かせ下さい。

大使 まず私はとても幸運でして、ネルソン・マンデラとは密接に仕事をしておりました。何度もお会いしておりますし、最後に会ったのは去年でした。マンデラは非常に素晴らしい優れた党首であり、政治家であり、彼以外には前の政権から今の政権への平和的な移行はなしえなかったと思います。
 ただ彼の92歳という年齢と、既に現場から引いているという状況で、彼の周囲の人間は彼に引退している状況を十分に味わっていただきたいと思っております。ですから極力いろいろなことを退けております。彼には自分の時間を読書や静かに過ごしたりすることに使っていただきたいと考えてています。今回のワールドカップの時も多くの方から会いたいとリクエストがございまして、でも恐らく会ったとしても本当に数名にすぎなかったと思います。それ以外は周りも気を使って、せっかく引退したのだから十分休ませてあげようというふうになっています。
 国外に移動するにしても、国内の移動に関しましても極力避けるようにしておりまして、実はFIFAが今度の決勝戦の後で、優勝チームにトロフィーを渡すのをネルソン・マンデラに、という考えもあったようです。彼がそれを受けるかどうかは私どもは全くわかりません。高齢で体が弱っておりますので、彼とその家族に決定を任せねばなりません。ただネルソン・マンデラ財団、ネルソン・マンデラの精神を受け継いで、それを世界に伝えるという役割をする財団がまだまだ活発に動いておりまして、その中でネルソン・マンデラ子ども基金というのがございまして、それは本当に子どもたちにネルソン・マンデラの考え方を普及させ、実現させるという働きをするところです。

P ありがとうございました。私の方からは質問は以上ですけれども、大使の方から特に日本の皆さんにメッセージ等ございましたらお願いいたします。

大使 先ほども申し上げましたように、代表として日本に来れたことをとてもうれしく名誉に思っております。南アフリカの人は日本に対して本当に尊敬の念を持って見ております。それは例えば伝統であったり、それから経済力や科学技術であったり、あるいは商品の信頼性、例えばトヨタであれば、アメリカで何が起ころうとやはり南アフリカの人は忠実なトヨタのファンです。日本というのは何かを約束したときにはその成果を信頼できる。そして日本の世界平和維持に対する立場というのは、私どもは日本が国連を通していろいろな活動をしているのが非常に大きな金額だというのはわかっております。それに貢献しようとしているのもわかっております。また世界平和だけでなく、アフリカに対してもアフリカ開発会議を通してアフリカに大変貢献していただいておりますので、そうしたすべてのことを考えましても、文化も経済も全てのことをひっくるめて信頼を持ち、尊敬している相手でございます。 (了)

※『政界往来』(2012年1月号)より転載。

|

2010年12月21日 (火)

「再建」のモンゴル政治、我が国現政権も学べ

 11月15日からモンゴル国のツァヒャー・エルベグドルジ大統領が日本政府の招待で公式訪問することになっている。モンゴルは人口273万人、国民一人当たりのGDPが3200$というと決して大きい国でもなければ、豊かな国でもない。普通の国ということになるであろう。

 しかしこの国は二つの面において非常に大きい国である。第一点は日本では相撲界で朝青龍、白鵬両横綱の大活躍で極めて存在感が大きくモンゴルという国の名前を知らない日本人はほとんど無いくらいである。勿論これに関しては旭鷲山と旭天鵬のパイオニア的役割も忘れてはならない。

 そして歴史上モンゴルがアジアの大部分を制覇した時、日本は神々のご加護と有能なリーダーそして国を守るという高い意識を持った日本人によってその制覇を阻んだが、お互いに騎士道と武士道の精神に基づく高い誇りと、国を守ろうとする精神と、国を拡張しようとする精神はお互いに天晴れと認め合ってきたような気がする。それがゆえに日本人の心にモンゴルは大きな存在となっている。

 もう一つの面においてモンゴルは156万強平方キロメートルの広大な国土を有し、世界の資源大国のひとつに数えられる。これは日本にとっては大変魅力的なことであり、日本の将来の発展のためにもこの国と協力し合うことは互いに有益であることをしっかり再認識する必要がある。

 今回中国の漁船による無法な侵入行為がきっかけとなって中国からレアアースの輸出を一方的に停止させられ、脅かしを受けた日本の総理大臣が偶然にも国連でモンゴルのスフバータル・バトボルド首相と会い、レアアースに関する協力を要請したところ快く協力する姿勢を示したと報道された。このモンゴル国は直接国土がつながっている中国、ロシアという隣国の他にある意味で遠く離れた日本を第三の隣国と措定し、日本を重視する外交の基本姿勢を打ち出している。

 このことからもわかるようにモンゴルという国は極めて親日的日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りに関しても、ブータン、モルディブと共に一歩前に出て日本を支持する立場を鮮明にしてきた国でもある。これは多額なODAを通じての支援を受けていながら日本に反対する中国やその他の隣国もいる中、大変友好的行為と見るべきであろう。

 モンゴルとチベットは歴史的、文化的、人種的に極めて密接な関係にあり、現在のダライ・ラマ制度の出現にもモンゴルが深く関わっており、「ダライ」も「大海」を示すモンゴル語であり、一時ソ連共産党の抑圧によって禁止されたモンゴルでの宗教は同じチベット仏教である。近年ダライ・ラマ法王のモンゴル訪問は定期的なものとなっており、国民(チベット仏教徒)たちの間には根強い支持者が存在する。

 そもそも古い国同士は昔、お互いに認知する儀式などは必要なかったが19世紀あたりから国家間においてお互いが承認しあい、条約などを交わす慣習が生まれた。1913年チベットとモンゴルはお互いに承認する条約を結んだ経緯がある。しかし残念ながらチベットは中国の人民解放軍に占領され今日5つの行政区に分割され、支配されている。またモンゴルに関しても国土の半分以上もぎ取られ、いわゆる中国の内モンゴル自治区になっており、中国の侵略下でもっとも同化の進んでいる地域の一つである。

 人間が不死身でないように国家も国民の行い次第では消滅するものもあれば、新たに生まれ変わり過去の輝かしい歴史と伝統に基づく国の再生も珍しくはない。今回尖閣諸島問題で私が日本の読者に忠告を促したいのは現在の中華人民共和国という国は過去に侵略の犯罪歴のある国であり、その触手が日本に延びていることに目覚めてほしいということである。その面でモンゴル国民は今、国の独立を勝ち取り、その再建に臨んでいる姿勢は頼もしく感じる。

 1992年以来私はモンゴルの民主化の歩みを直接目で見、肌で感じて来ている。モンゴルの指導者たちは40代から50代が殆どで、現在のエルベグドルジ大統領もエンフバヤル前大統領も40代で大統領に就任されており、二人とも立派な愛国者であると同時にモンゴルの民主化、近代化に信念を持って国の舵取りをしている。

 中国とロシアという常に領土拡張を狙う覇権国家に挟まれるモンゴルと、日本の領土を不当に占領し、或いは領土権を主張する国と対等平等の原則で立ち向かっていくため、今後モンゴルと日本の多面的な協力関係を推し進め、根付かせるため日本側も今回の大統領訪問に対し、その基礎を盤石にするための稔りあるものにしてほいいと願う。中国やロシアからなめられているのは日本国が戦略、戦術を持ち党利党略を超えて国家と国益の認識をしっかり持っていない故であるように思う。その方面においてはモンゴルから学ぶことも沢山あると現内閣に進言したい。

※『政界往来』(2011年1月号)より転載。

|

2010年12月19日 (日)

尖閣に建物を造り居住せよ

自国領を棚上げするな

懸念される領海侵犯の風化

 9月7日の中国の漁船と言われる船の船長が逮捕され、十分な取り調べもしないまま釈放された事件については、その後マスコミによってビデオの流出に関しての犯人探しで盛り上がったが、今回は先に中国漁船の船長を釈放してし.まった当局もさすがに国民感情を配慮したのか、この流出に関しては自ら名乗り出た海上保安官の逮捕をせずに、いつの間にか一件落着したかのようにメディアも話題にしなくなった。

 勿論、この保安官の行為に関しては賛否両論あったし、私も一公務員としての言動と国を憂う一国民としての常識と勇気に対しては、区別をする立場を取っている。かつてマハトマ・ガンジーは「動機が良く、結果も良くても、その手段が正しくなければならない」と警告したことがある。

 しかし、今日ここで取り上げたいことはこの保安官の行動ではなくいつの間にか問題の本質が保安官の逮捕と同時に葬られるような危険性に不安を感じている。なぜならば問題の本質は日本の領海に外国が侵入したことに対する危機感の無さだ。私にとってみれば深刻な問題であり、このことに対し政府の情けない杜撰な対応以上に国民の大多数が、無関心かつ自分とは関わりが無いと思い込んでいる様子が気になるのである。

 勿論、全ての国民がそうであるというのではなく、今回の出来事で目覚めた人も増えてはきており、実際政府の態度に対し抗議するデモなどの参加者も今まで以上に増えてきていることがせめてもの救いである。だが、他の日本の風潮同様、今回の出来事についても、もう既に忘れようとしていることに危機感を覚える。

 私は、マスコミがいつの間にかこの問題の焦点をビデオ流出の犯人探しにすり替え、問題のフォーカスをぼかしたことに悪意のようなものを感じる。日本の総理大臣を目指す人間が自らを中国の「人民解放軍の野戦司令官」と自負しても抗議のデモも無ければそれを批判する健全な社説も無いことを考えれば、マスコ界においてもすでに毒饅頭を食べた者がいてもおかしくはないだろう。

 しかし、それにしても尖閣諸島問題が偶発的な出来事のように扱われ、忘れ去られようとしていることはこの国の将来にとって極めて危惧すべきことである。以前にも述べたと思うが、国際世論や国民感情は常に揺れ動いており、一貫性は無いが中国のような野望を持った国家の場合には長期的な戦略と戦術のもと、獲物を狙っており、そのプロセスにおいて今回の出来事はある種の探りでもあると思う。政府とマスコミが頼りにならなければ、国民自ら自国の領土を護り主権を確保するしかない。

 そこで私が提案したいことは、国民運動として尖閣諸島に既成事実としてシンボリックな建物を建立し、そこで何らかの形の生活を営むことである。私は少年時代、難民キャンプで生活したことがある。インド政府は私たちチベット難民に寛大にも未開拓の土地を与え、そこで難民は自ら切り拓き臨時の生活の拠点を作った。

 この経験から私は民間レベルで誰かが音頭を取り、政府の支援を受け、現在政府から補助を受けている無職の人々の新たな開拓地として尖閣諸島に移住させ、「自給自足」と「自助協力」の精神のもと小規模の漁業、農業、畜産業を始めるのが良いと思う。

 そして、ここに政教分離の原則を尊重し、国民がイニシアティブを取って寄付金やボランティアによるシンボリックな宗教的施設を建立することも大切である。勿論日本固有の神道とアジアの大部分が古来生活の中に取り入れてきた仏教的なものがふさわしいであろう。今中国では、「愛国愛教」というキャッチフレーズはやが流行っているように、共産党の抑圧があるにも関わらず宗教、特に仏教が流行り始めている。仏教はアジア以外の国々にも平和思想として広がりを見せているので、そのような施設に対し、やたらに手を出すことはたとえ中国共産党であっても国際社会の一員としてやっていこうと思うのであれば、不可能となる。

 もうひとつの提案は尖閣諸島が日本のものである以上、マスコミはいちいち中国名を表記してあたかも問題を自ら提供したかのような行為をする必要は全く無いと思うゆえ、このような非常識で無頓着な新聞社や記者に対し、国民はしっかりと監視し抗議する姿勢を示すべきであろう。領土問題に関そしては棚上げや一時的に問題を逸らしたり隠すことは決して解決の方法ではなく、むしろ次の世代への不必要な負担に他ならない。

 残念ながら国と国の間の政治は極めて現実的な問題であり、理想論や気兼ねは通用しない。だからこそ既成事実を作り、実効支配を確立するほか無い。日本政府は旧本国民が日本国内どこへでも自由を認めているなら、当然日本国の領土である尖閣諸島においても日本人が自由に出入りできないはずはない。

 世界世論の同情とダライ・ラマ法王の平和思想に対し、尊敬を抱いている人々がどんなに多くても、あの無法国家中国にはそのようなものは通用しない。彼らは力の崇拝者であり、力だけが彼らを動かす。だから領土問題に関して断固たるぶれの無い自己主張をして自国の領土を護る不動の決意を示す時期であると考える。

※『世界日報』(21010年12月6日付)より転載。

|

(2) 戦争について


[解説] ペマ・ギャルポのつぶやき、第2回は「戦争について」。

2010/12/13

|

(1) チベット問題の本質


[解説] ペマ・ギャルポのつぶやき、第1回は「チベット問題の本質」についてのお話しです。

2010/12/07

|

2010年12月12日 (日)

ガート・ヨハネス・グロブラー南アフリカ共和国駐日特命全権大使 〔第2回〕

「南アフリカは常任理事国入りを希望しています」

ペマ・ギャルポ(以下P) 大使から非常に、包括的に現在両国間で話されていること、そして役割などについてお話しがございましたけれども、FECの英語訳がInternational Friendship Exchangeとなっていますけれども、日本語では民間外交推進協会と言って、実際はより積極的に民間外交をengagementしていく組織であり、メンバーもほとんどが日本を代表する企業のトップの方々で、その意味でも今後日本と南アフリカの関わりにも両国にお役に立つ仕事ができると思うんですけれども、その中において特に私たちが関心を持っていることの一つが、今大使からも国連のお話しもありましたけれども、日本は一応国連の安全保障理事国の常任理事国に名乗り出てやりたいと積極的に活動もしているんですね。世間の評判としては当然アフリカからもし出るとしたら南アフリカが最有力の候補者として考えられていると思いますけれども、国連の改革、及び国連の今後の役割についてどういうお考えを持っていらっしゃるかということと、南アフリカを含めて、今後国連の常任理事国を増やすことを南アフリカがどう考えているのか、差し支えなければ、日本が立候補していることに対してもどうお考えになっているのかお聞かせ願えればと思います。

大使 確かに南アフリカというのは民主化を果たして国連に戻ったわけですが、私どもの立場といたしましては国連というものが世の中の平和や安定や経済的成長を促進するための鍵となる組織だと考えております。ただ国連が出来たときからは時代がどんどん変わってきておりますので、確かに基本的なところで変えていかなくてはならないこともあります。基本的なところだけでなくて、安全保障理事会でだったり、常任理事会がどういうふうな形であるべきかであるとか、時代が変わりましたので、いろんなことで変えていかなくではならないことはあるのですけれども、ただもう一方で私どもが考えるのは、やはり国連がきっちり機能するための道具のようなものを与えなければいけないのではないかと思っています。
 と言うことで私どもは非常に多国籍間の関係というものをいつも重視しておりますので、そういった改革が必要ということはわかっておりまして、それでその改革というものも国連がより民主化されなくてはいけないとか、より透明化されなくてはいけないとか、そういうふうには考えております。
 それで安全保障理事会に関して申しましたら、現在の五カ国だけが理事国になっていて、かつ拒否権も持っているということに関しまして、私どもといたしましてはアフリカからの代表も入るべきだと思いますし、また安全保障理事会がより国大されたものでなければいけないと考えています。
 特に安全保障理事会に関しては南アフリカの立場としてはいろんなプロポーザルを出してまいりましたけれども、少なくともアフリカから2議席は欲しいということは言っております。ただそのアフリカから2議席と申しましても、南アフリカの立場を申し上げますと、私どもはアフリカの中では非常に経験もありますし、キャパシティもあります。国連の改革に関しては有能なメンバーとして力を発揮できると考えております。ということで私どもは常任理事国入りを希望することを宣言しております。そして安全保障理事会の改革を早く実現するように進めたいと考えております。またその改革された安全保障理事会の中には必ず日本が入っているべきだと思っております。
 ただこれは本当に協議をつめ続けなければいけないことですので、先日岡田外相との間ではこういった国連のことも含めまして、より一層対話を進めていくことを確認したところです。

P 大使から政治、経済、広い範囲についてお話しをいただきましてとても感謝しております。この数日間、私の学生はみんな寝不足になっておりまして、今回南アフリカはワールドカップ主催国になっているということで、もちろんまだ結論を出すには早いかと思うのですが、南アフリカにとってそれによって良かったこと、また困ったことはありますか?

大使 本当に残すところあと二日となりましたけれど、既に効果というのはでてきております。私どもが考えますには、ワールドカップはアフリカにとっても、南アフリカにとっても、とても大きなプラスの効果を生んだと言えます。
 南アフリカ政府としては相当な額をワールドカップに投入しましたけれど、結果として、その恩恵を今後10年、20年と受けていくと思っております。
 ワールドカップがあってもなくても、私どもの経済はここ10年、20年相当な勢いで発展してきておりましたので、いずれにしても交通や空港などのインフラの改善、近代化の時期には来ていたのですが、それが今回たまたまワールドカップという機会があったので、それをさらに加速させることにはなったのですが、いずれにしても、ワールドカップの有無に関わらずインフラ整備はしただろうと思います。ワールドカップが契機となって急速に近代化いたしましたので、国民は今後長い間その恩恵を受けていくと思います。インフラ整備に関してはワールドカップで終わり、ということではなく、先ほども申し上げた800億ドルというインフラ整備予算ですが、私どもはあまりに急速に経済的に進展してしまったために、インフラ整備が本当に追いついていないところがございますので、ワールドカップ後も手を付けていかなくてはいけないところが沢山あります。供給が需要に追いついていない状態なのです。
 スタジアムに関して申しましても5つは既存のものを補修、改修されたもので、4つは新しく建てられたものなのですが、よくアメリカ人が全く使われなくなった箱物のことを“ホワイトエレファント”という表現をしますが、南アフリカに関してはこれは全く心配のないことでして、5つは既にあったものを直しただけだということ、新しくできた4つはもともとその地域にそういった施設が必要だったのです。というのは南アフリカの人たちはスポーツや音楽等のイベントが大好きな人たちなので、そういうものが本当に必要とされていて、それを建てただけだったのです。それからこういったことは経済的な効果だけでなく、心理的な効果ももたらしました。ワールドカップが成功裏に終わったということで日本だけでなく世界中が南アフリカに対してとても前向きな味方をするようになったのではないかと思います。それによってビジネスや投資が当然増えるでしょうし、観光客もおそらく増えるでしょう。ワールドカップの効果は本当に長いこと続いてくれるだろうと思います。 (続く)

※『政界往来』(2010年12月号)より転載。

|

2010年12月 5日 (日)

日印関係は「政経温重」とすべし

 1959年あのヒマラヤを越え、インドに亡命して以来50年以上私はインドと関わってきた。父は他界したが、母たち(母二人)や兄弟姉妹は今も多くがインドに居住しているため定期的に訪問している。日本滞在46年間も基本的にはインドとつながっていることになる。そしてこの両国に運命的に関わりを持つようになった。その中でアジアの安全と繁栄のためにこの二カ国がより緊密な関係を持つことを切に願ってきた。幸い最近その方向に動き始めているのがわかり嬉しく思っている。正直に言って長い間インドは1962年の中印国境紛争以来自国の安全保障を第一にし、出来る限り自立自守の政策に転じ、1974年核実験を行い、他国に依存しないため経済も内需型に重きを置いて来たため、日本のみならず世界各国とそれほど経済交流も必要以上にはしない方針を取ってきた。これらの政策とアメリカ一辺倒の日本の外交戦略の関係上、インドは日本の眼中に無かったと言っても言い過ぎではない存在であった。勿論関係が特に悪いわけでもなかった。だが1990年代初頭からのソ連の崩壊、中国の近代化などの変化によって、インドも従来の政策を大転換し、自由経済、競争社会に参入し始めた。瞬く間にインドはいわゆるBRICsの一員として注目され始め、今では中国に追いつき追い越そうとして経済的軍事的にも脚光を浴びている。今回は前回に引き続きまたインドについて報告したい。

 インドの発展ぶりはITや印僑の活躍に留まらず1970年代から80年代の日本を思い出させるような勢いがある。例えば私の身近な問題としては、あの広大な国と人口、更にインダス文明など多くの知恵者と豊かな文化の発祥地にしては、新聞や雑誌発行部数とその品質は悲しい状況にあった。わずか8年ほど前までは毎朝届けられる新聞はすぐインクが手につき、新聞の選択の幅も無かった。雑誌に至ってはフロントライン、インディアトゥディなど4誌しか無かった。それが最近は新聞雑誌にどんどん広告代が入り、発行部数や種類そしてクォリティーも非常に高く、低迷化している日本の印刷物の世界から見れば羨むべき状況が続いている。その一番の要因は経済成長に伴って広告代が大幅に増えたこと、教育が普及し読者数の増大も貢献している。WAN(WORLD ASSOCIATION OF NEWSPAPER) によるとこの五年間でインドの有料の新聞は44%増加し、現在2700紙が発行され、アメリカの1397紙、中国の100紙を大きく引き離し、世界第一位を誇るに至った。しかも中国のように統制も無く、特に署名記事が多く、自由闊達な意見が述べられており責任の伴った言論の自由に感心した。勿論タブロイド紙的なものもあるが、多くの記事はまさに地球的規模でものを考え、それを地元や地域の問題と関連づけているのはインドならではという気がする。

 今世界最大の発行部数を誇る中国の人民日報は、党の機関紙に過ぎないし、有料新聞として自由な新聞のトップを走る日本の読売新聞は、日本語という領域を越えていない限られた読者を対象としているのに対し、インドのタイムズオブインディアは400万部の発行部数を持ち、読者は印僑をベースに世界各国に広がっている。この印僑に関連するが、彼らは東南アジア、中東、特にアフリカとインドのつながりに大きく貢献し、日本では中国のアフリカ進出が話題になっているが、実際アフリカにおける大きな勢力としては、インドがレバノンと肩を並べる二大勢力となっている。インドからの短期労働者(出稼ぎ)は中東だけでも300万人を越えると言われている。尚アジアに関しては1990年後半から積極的に関わりを広げ、シンガポール、タイとは限定的な自由貿易の合意を取り付け、昨年10月はASEANと自由貿易協定を結んでいる。インド亜大陸内においてはパキスタン以外の南アジア地域協力連合の国々とも積極的な経済交流を促進している。

 重なる面もあるが、インドの東側から南においても5つの国から構成されるBIMSTECが1997年に発足され、バングラデシュ、ミャンマー(ビルマ)、スリランカ、タイ、これにインドを加えて一つの経済交流圏を構築している。尚今年10月下旬、インドのマンモハン首相が恒例の日本訪問の際には、初めて本格的に日本の経団連の首脳と親しく交流される予定があると聞いている。日本はこの際、同首相と同国の期待を裏切らないようしっかりした握手を交わして欲しいと願う。これが日本の経済のみならず安全保障にも少なからず影響を及ぼすと確信する。中国との関係においては「経熱政冷」と言っている学者もいるようだが、私は日本とインドは「政経温重」が着実に進行することを願うとともに、微力ながら私なりの貢献を果たしたいとの思いで一杯である。

※『政界往来』(2010年12月号)より転載。

|

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »