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2010年12月19日 (日)

尖閣に建物を造り居住せよ

自国領を棚上げするな

懸念される領海侵犯の風化

 9月7日の中国の漁船と言われる船の船長が逮捕され、十分な取り調べもしないまま釈放された事件については、その後マスコミによってビデオの流出に関しての犯人探しで盛り上がったが、今回は先に中国漁船の船長を釈放してし.まった当局もさすがに国民感情を配慮したのか、この流出に関しては自ら名乗り出た海上保安官の逮捕をせずに、いつの間にか一件落着したかのようにメディアも話題にしなくなった。

 勿論、この保安官の行為に関しては賛否両論あったし、私も一公務員としての言動と国を憂う一国民としての常識と勇気に対しては、区別をする立場を取っている。かつてマハトマ・ガンジーは「動機が良く、結果も良くても、その手段が正しくなければならない」と警告したことがある。

 しかし、今日ここで取り上げたいことはこの保安官の行動ではなくいつの間にか問題の本質が保安官の逮捕と同時に葬られるような危険性に不安を感じている。なぜならば問題の本質は日本の領海に外国が侵入したことに対する危機感の無さだ。私にとってみれば深刻な問題であり、このことに対し政府の情けない杜撰な対応以上に国民の大多数が、無関心かつ自分とは関わりが無いと思い込んでいる様子が気になるのである。

 勿論、全ての国民がそうであるというのではなく、今回の出来事で目覚めた人も増えてはきており、実際政府の態度に対し抗議するデモなどの参加者も今まで以上に増えてきていることがせめてもの救いである。だが、他の日本の風潮同様、今回の出来事についても、もう既に忘れようとしていることに危機感を覚える。

 私は、マスコミがいつの間にかこの問題の焦点をビデオ流出の犯人探しにすり替え、問題のフォーカスをぼかしたことに悪意のようなものを感じる。日本の総理大臣を目指す人間が自らを中国の「人民解放軍の野戦司令官」と自負しても抗議のデモも無ければそれを批判する健全な社説も無いことを考えれば、マスコ界においてもすでに毒饅頭を食べた者がいてもおかしくはないだろう。

 しかし、それにしても尖閣諸島問題が偶発的な出来事のように扱われ、忘れ去られようとしていることはこの国の将来にとって極めて危惧すべきことである。以前にも述べたと思うが、国際世論や国民感情は常に揺れ動いており、一貫性は無いが中国のような野望を持った国家の場合には長期的な戦略と戦術のもと、獲物を狙っており、そのプロセスにおいて今回の出来事はある種の探りでもあると思う。政府とマスコミが頼りにならなければ、国民自ら自国の領土を護り主権を確保するしかない。

 そこで私が提案したいことは、国民運動として尖閣諸島に既成事実としてシンボリックな建物を建立し、そこで何らかの形の生活を営むことである。私は少年時代、難民キャンプで生活したことがある。インド政府は私たちチベット難民に寛大にも未開拓の土地を与え、そこで難民は自ら切り拓き臨時の生活の拠点を作った。

 この経験から私は民間レベルで誰かが音頭を取り、政府の支援を受け、現在政府から補助を受けている無職の人々の新たな開拓地として尖閣諸島に移住させ、「自給自足」と「自助協力」の精神のもと小規模の漁業、農業、畜産業を始めるのが良いと思う。

 そして、ここに政教分離の原則を尊重し、国民がイニシアティブを取って寄付金やボランティアによるシンボリックな宗教的施設を建立することも大切である。勿論日本固有の神道とアジアの大部分が古来生活の中に取り入れてきた仏教的なものがふさわしいであろう。今中国では、「愛国愛教」というキャッチフレーズはやが流行っているように、共産党の抑圧があるにも関わらず宗教、特に仏教が流行り始めている。仏教はアジア以外の国々にも平和思想として広がりを見せているので、そのような施設に対し、やたらに手を出すことはたとえ中国共産党であっても国際社会の一員としてやっていこうと思うのであれば、不可能となる。

 もうひとつの提案は尖閣諸島が日本のものである以上、マスコミはいちいち中国名を表記してあたかも問題を自ら提供したかのような行為をする必要は全く無いと思うゆえ、このような非常識で無頓着な新聞社や記者に対し、国民はしっかりと監視し抗議する姿勢を示すべきであろう。領土問題に関そしては棚上げや一時的に問題を逸らしたり隠すことは決して解決の方法ではなく、むしろ次の世代への不必要な負担に他ならない。

 残念ながら国と国の間の政治は極めて現実的な問題であり、理想論や気兼ねは通用しない。だからこそ既成事実を作り、実効支配を確立するほか無い。日本政府は旧本国民が日本国内どこへでも自由を認めているなら、当然日本国の領土である尖閣諸島においても日本人が自由に出入りできないはずはない。

 世界世論の同情とダライ・ラマ法王の平和思想に対し、尊敬を抱いている人々がどんなに多くても、あの無法国家中国にはそのようなものは通用しない。彼らは力の崇拝者であり、力だけが彼らを動かす。だから領土問題に関して断固たるぶれの無い自己主張をして自国の領土を護る不動の決意を示す時期であると考える。

※『世界日報』(21010年12月6日付)より転載。

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