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2010年12月 5日 (日)

日印関係は「政経温重」とすべし

 1959年あのヒマラヤを越え、インドに亡命して以来50年以上私はインドと関わってきた。父は他界したが、母たち(母二人)や兄弟姉妹は今も多くがインドに居住しているため定期的に訪問している。日本滞在46年間も基本的にはインドとつながっていることになる。そしてこの両国に運命的に関わりを持つようになった。その中でアジアの安全と繁栄のためにこの二カ国がより緊密な関係を持つことを切に願ってきた。幸い最近その方向に動き始めているのがわかり嬉しく思っている。正直に言って長い間インドは1962年の中印国境紛争以来自国の安全保障を第一にし、出来る限り自立自守の政策に転じ、1974年核実験を行い、他国に依存しないため経済も内需型に重きを置いて来たため、日本のみならず世界各国とそれほど経済交流も必要以上にはしない方針を取ってきた。これらの政策とアメリカ一辺倒の日本の外交戦略の関係上、インドは日本の眼中に無かったと言っても言い過ぎではない存在であった。勿論関係が特に悪いわけでもなかった。だが1990年代初頭からのソ連の崩壊、中国の近代化などの変化によって、インドも従来の政策を大転換し、自由経済、競争社会に参入し始めた。瞬く間にインドはいわゆるBRICsの一員として注目され始め、今では中国に追いつき追い越そうとして経済的軍事的にも脚光を浴びている。今回は前回に引き続きまたインドについて報告したい。

 インドの発展ぶりはITや印僑の活躍に留まらず1970年代から80年代の日本を思い出させるような勢いがある。例えば私の身近な問題としては、あの広大な国と人口、更にインダス文明など多くの知恵者と豊かな文化の発祥地にしては、新聞や雑誌発行部数とその品質は悲しい状況にあった。わずか8年ほど前までは毎朝届けられる新聞はすぐインクが手につき、新聞の選択の幅も無かった。雑誌に至ってはフロントライン、インディアトゥディなど4誌しか無かった。それが最近は新聞雑誌にどんどん広告代が入り、発行部数や種類そしてクォリティーも非常に高く、低迷化している日本の印刷物の世界から見れば羨むべき状況が続いている。その一番の要因は経済成長に伴って広告代が大幅に増えたこと、教育が普及し読者数の増大も貢献している。WAN(WORLD ASSOCIATION OF NEWSPAPER) によるとこの五年間でインドの有料の新聞は44%増加し、現在2700紙が発行され、アメリカの1397紙、中国の100紙を大きく引き離し、世界第一位を誇るに至った。しかも中国のように統制も無く、特に署名記事が多く、自由闊達な意見が述べられており責任の伴った言論の自由に感心した。勿論タブロイド紙的なものもあるが、多くの記事はまさに地球的規模でものを考え、それを地元や地域の問題と関連づけているのはインドならではという気がする。

 今世界最大の発行部数を誇る中国の人民日報は、党の機関紙に過ぎないし、有料新聞として自由な新聞のトップを走る日本の読売新聞は、日本語という領域を越えていない限られた読者を対象としているのに対し、インドのタイムズオブインディアは400万部の発行部数を持ち、読者は印僑をベースに世界各国に広がっている。この印僑に関連するが、彼らは東南アジア、中東、特にアフリカとインドのつながりに大きく貢献し、日本では中国のアフリカ進出が話題になっているが、実際アフリカにおける大きな勢力としては、インドがレバノンと肩を並べる二大勢力となっている。インドからの短期労働者(出稼ぎ)は中東だけでも300万人を越えると言われている。尚アジアに関しては1990年後半から積極的に関わりを広げ、シンガポール、タイとは限定的な自由貿易の合意を取り付け、昨年10月はASEANと自由貿易協定を結んでいる。インド亜大陸内においてはパキスタン以外の南アジア地域協力連合の国々とも積極的な経済交流を促進している。

 重なる面もあるが、インドの東側から南においても5つの国から構成されるBIMSTECが1997年に発足され、バングラデシュ、ミャンマー(ビルマ)、スリランカ、タイ、これにインドを加えて一つの経済交流圏を構築している。尚今年10月下旬、インドのマンモハン首相が恒例の日本訪問の際には、初めて本格的に日本の経団連の首脳と親しく交流される予定があると聞いている。日本はこの際、同首相と同国の期待を裏切らないようしっかりした握手を交わして欲しいと願う。これが日本の経済のみならず安全保障にも少なからず影響を及ぼすと確信する。中国との関係においては「経熱政冷」と言っている学者もいるようだが、私は日本とインドは「政経温重」が着実に進行することを願うとともに、微力ながら私なりの貢献を果たしたいとの思いで一杯である。

※『政界往来』(2010年12月号)より転載。

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