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2011年6月26日 (日)

大阪府の国歌起立斉唱条例

国守り継承するのは義務

「国家国旗に敬意」は当然

真剣に考えるよい契機

 この度、橋下徹大阪府知事のイニシアティブで、全国初の「君が代起立条例」が6月3日同府議会で可決成立した。新聞などによると橋下知事が代表を務める地域政党「大阪府維新の会」56人とみんなの党1人、無所属2人を含む59名の賛成多数で、公明、自民、民主、共産など48名の反対を退け可決となった。条例は「学校での服務規律の厳格化」を目的として今後実行し、不起立を繰り返した教職員に免職を含む懲戒処分を課すことなどを内容とした条例案を9月の議会に提出する構えでいる。

 世界の常識としては自国の国歌、国旗に対し尊敬を表すことは当然のことであるが、日本では未だに冷戦時代のイデオロギーから抜け切れない人々がいるようで、このような条例を作らなければならない実態こそ滑稽に思う。それ以上に今回のことで私が特に驚いたのは、自民党の府議会議員たちが反対票を投じたことである。彼らは政治的理念や立派な思想を持っている人物ではなく、ただの政治屋で国家の基本的な重要課題でさえ政局にした理念なき集団であることに悲しみさえ覚える。

 保守とは本来「守るべきもの」があっての保守のはずなのに、自民党の府議会議員たちはその基本すら認識しておらず、保守と名乗るに値しない人々であることが分かった。自民党の現
在の体たらくは初心を忘れ、立党の精神である自主独立の精神から離れ、長く政権の座につくことによって利権党化し、単に政権の旨みのみに関心を持ち、理念理想無き政党に落ちてしまった姿だ。

 私は日本国籍を取ってまだ間もないが、四十数年間、特に青年時代には多くの日本人の大物政治家たちの姿を見て、自民党に信頼と敬意と親しみを感じてきた。1960年代から70年代頃までの政治家は、自民党に限らず今日に比較したらより高度な政治理念とイデオロギーを持っていたように感じた。より広い視野、より明快な理念を持ってお互いに堂々と戦うっており、その価値観は安易に譲れないものとして、守り抜こうとした姿を見た時に政治のタイナミズムを感じられた。

 ところが、最近の菅降ろし問題などを見てもま政治家たちは理想や理念や愛国心ではなく、権力獲得のための争いで国の将来や世界の平和などは眼中に無いように見受けられる。そして政治権力の頂点である総理大臣も単に人気商売にされ、軽んじられているように思う。その責任は政治家のみならずメディアにも大いにある。政治家の真の実力や経験、人格などよりも大衆受け、メディア受けするかどうか、あるいはマスコミの好き嫌いで論じられていることや、バフォーマンスの巧拙で左右されていることも極めて残念でならない。

 今、菅首相を引き下ろそうとしている人々や、その後釜としてメディアがプロモートしようとしている人々の方が、菅首相よりも優れており、菅首相ができないことを国民に提供できるようには見えない。総理大臣になる人が、せめて当選7、8回を果たし、政治家としての経験と人脈、特に共通の夢と理念を分かち合い、その人を支えて行こうとする仲間と部下がいなければ最近見ているように、総理大臣は短命になるのは当然である。

 私が見た昭和時代の政治家たちは少なくとも政党や派閥を超えて国益ということに関しての優先順位並びにお互いの役割を活かしての国への貢献ができていた。ここに橋下知事と仲間たちに敬意を表するとともに、このような法を作らなければならない日本の異常な状況から、一日も早く正常な国家になることを心から願いたい。かつて中国はイギリスから香港の主権が返還された時、真っ先に行動したことの一つに学校教育の中で子供たちに中国の国歌を教え国旗を扱う作法を徹底したことがある。私は敵ながら天晴れであると感心した。

 日本の国歌・国旗は日本国民の自由意志によって選出された議員によって議会でも正式に認められたものであると私は認識している。民主主義を宗教のように信仰し、民主という言葉を真言のように唱える教師たちは、特に法治国家の一員として私は教え子たちに良い模範となる意味でもこの国会の場で国歌・国旗として認められたものに関しては、敬意を表することこそ議会制民主主義を強固にする手段ではないかと思う。

 日本では、お子様ランチ、右翼の街宣、スポーツイベントなどでは国旗がよく使われているようだが、残念ながらこのような場での国旗の扱い方はかえって世界の常識とは少しかけ離れており、本人たちの意図と反して国旗の品格を下げているとも感じる。この際、国旗に関する常識を学校のみならず社会に広く認識してもらう良い時期かもしれない。

 そのような意味で今回の大阪府議会の条例化は国歌・国旗に関して日本社会に真剣に考えてもらう良いきっかけを作ったようにも思える。民主主義国家においては、一人ひとりがその国の主であると同時にその国を守り、子孫に継承させる義務があるはずである。

※『世界日報』(2011年06月12日付)より転載。

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