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2012年1月30日 (月)

“おかげさま”の国 ニッポン

 中国の侵攻で故郷チベットを追われて難民となり、インドに亡命後、1965年に縁あって来日してから半世紀近く。今は政治学者、大学教授のほか、ブータンの首相顧問として先に来日されたブータン国王夫妻のそばで通訳を務めるなど、さまざまな活躍をされているペマ・ギャルポさんに、波瀾万丈の幼少体験、そして安定した日本で12歳から暮らし、肌で感じた日本人の素晴らしい特質のカギ「おかげさま」について語っていただきました。

中国侵略がもたらしたチベットの悲劇

 東チベットの一領主を父に持ち、裕福な生活を送っていたペマ・ギャルポさん。当時のチベットは、独立国家として独自の政府と制度を持っていた。ところが、「帝国主義の脅威からの解放」の名の下に中国の侵略が行われ、5歳だったペマさんは、大人たちに手を引かれながら戦火をくぐり抜けてヒマラヤ山脈を越え、ダライ・ラマ14世にしたがってインドに亡命する。「故郷を出たときは200名ほどでしたが、生きてインドまでたどりつけたのは20名前後でした。あの戦争で家族を一人も失っていないチベット国民はほとんどいません。

 私の2人の兄も、一人は射殺され、一人は餓死させられました。また、チベットの有力者だった父と上の母(チベットは一夫多妻制)は中国の人質となり、祖母も殺されました。そうした悲劇が「世界の屋根」と言われている場所で起きたのですあれから50年以上経ちましたが、まだ多くの人たちがその傷を背負っています。

 しかし、今も中国支配は変わっていません。現在のチベットは国そのものが大きな刑務所のようです。昼は私服警察、夜は武装警察に監視され、ダライ・ラマ法王に噂敬の気持ちを表したり、信仰を表したりすると罪になり、逮捕されることもあります。また、1987年以来、戒厳令がしかれ、当局の許可なしに5名以上集まると集会とみなされ、逮捕されるか、場合によっては射殺してもよいことになっています。そうした監視体制のなかで自由を奪われ、憤りを世界に訴える手段として焼身自殺する人が仏教国であるチベットで増えているというのは、あまりにも悲しいことです」

 「美しい国」日本で見た「おかげさま」の心

 難民生活の最中に印パ戦争が勃発し、緊張が高まっている時期、12歳にしてやってきたのが日本だ。「最初は言葉もわからず、親切を親切と受け取れずに日本を脱出する計画を立てたこともありました。しかし、日本の暮らしに慣れていくうちに、日本人の公共心の高さ、礼儀、協調性、道徳心に驚き、そして、生活の面倒を見てくれた日本の両親ともいえるご夫妻の厳しきの中にあるやさしさ、地域の人々がくれた温かきに触れ、何度生まれ変わってもお返しできないほどの愛情をもらいました。

 そこで知った『おかげさま』という言葉。初めは違和感がありました。たとえば、自分が努力して試験に受かっても『おかげさま』なんて、お世辞を言うようで格好悪いじゃないかつて(笑)。でも、人聞は一人で生きているわはありません。それをもっともよくわかっているのも私です。そして、人聞は人間だけで生きているわけでもない。そこに気づいたとき、人問、動物、植物、水、空気、自然環境すべてのつながりの上に成り立って生き、生かされているから『おかげさま』なのであり、日本人は生まれながらにしてその心を身につけていたのだとわかったのです。

 

今の日本は人間関係の信頼を失い、他人に関して無関心になり、かって誰もが『おかげさま』と挨拶していた時代は遠ざかってしまったようにも見えますが、日本から『おかげさま』を世界に通じる言葉として発信し、その本質が理解されたとき、世界中が抱えている環境問題や戦争と平和の問題を見直すきっかけになるのではないか。私も微力ながらそのお手伝いをしていきたいと思っています」

※『Just』(2012年2月号)より転載。

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