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2012年5月22日 (火)

日本をチベットのようにしてはならない(前編) 竜の口法子

300年の平和の中でチベットが失ったもの

 今年の初めに出版された『最終目標は天皇の処刑──「日本解放工作」の恐るべき全貌』(飛鳥新社)をご存じでしょうか。これは、中国に侵略されたチベットの亡命難民として日本40年間過ごし、2005年に日本に帰化された、ベマ・ギャルポ先生の最新刊です。
 日本を愛するペマ先生の「日本には、チベットと同じ過ちを犯して中国の植民地にされてほしくない」という言葉は、重く説得力があります。ぜひ、ペマ先生に直接お話をお聞きしたいとお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。

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 チベットは今、「チベット自治区」として、中華人民共和国の一部に組み込まれています。なぜ、歴史ある国家が、中国の一部となってしまったのでしょうか。ペマ先生は、「20世紀のはじめまで、300年の鎖国政治を続けていたチベットは平和でした。しかし、人々は平和に著り、国を防衛するという意識を失ってしまったのです」といいます。

僧侶が抗議の焼身自殺

 2011年の3月16日、中国四川省アバ・チベット自治州アパ県で、若い僧侶が焼身自殺を遂げました。この僧侶の死に対する償りが寺院のみならず周辺住民にも広がって、中国当局との間で一触即発の事態になりました。
「僧侶の自殺は、『世界の人々に、何とかチベットの現実を知ってもらいたい』という文字通り命がけのアピール他に方法がないのです」(ペマ先生)
 この僧侶は以前から、チベット語で勉強ができる民族学校の閉鎖などに反対していたそうです。中国政府は、現在はチベット語も公用語に加えており、表面上はチベット語の使用や教育を禁止しているわけではありません。しかし、試験は中国語で行われ、仕事も中国語が話せなければ何もできないため、事実上、チベット語が使われなくなるようにしているのです。

チベット諮の教育を受けるために

 人類の歴史の中には、すでに滅ぴた民族もいます。しかし、自分たちの文化、特に言語を維持している限り、ひとつのアイデンティティーをもってその民族は続いていくのです。だからチベットの親は、唯一チベット語で教育を受けることができるダライ・ラマ法王のもとに、子どもを送り出します。といっても、ダライ・ラマ法王がいるチベット亡命政府の場所はインドのダラムサラ。標高6000メートルのヒマラヤを徒歩で越え、一旦ネパールに入った上でインドを目指さなければなりません。無事にたどりつけるのは約3分の1。もし途中で見つかれば、送り返されて親子ともに拷問されます。それでも、親は子どもを送り出すのです。

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しかし、ペマ先生は「1年間で約1000人が亡命できた日々はまだよかった。今はヒマラヤ越えもできなくなりました」と言います。6年ほど前から中国がネパール政府に圧力をかけたため、ヒマラヤを越えても、ネパール政府によって捕らえられ、中国側に引き渡されてしまうのです。

徹底した同化政策

 中国の同化政策は徹底しています。言語以外にも、チベット音楽には特有の音階がありましたが、中国風に変えられてしまいました。ペマ先生は「日本ではチベットで放映されているテレビを見ることもできますが、私は観ていられません。歌は中国風に変えられ、チベット語のイントネーションまでも中国風になっているからです」と語ります。
また、チベットの民族衣装は、帯をとればそのまま布団になるように長く作られていましたが、それを作らせないように、長い生地の販売は禁止されています。
さらに、チベット人の数を増やさないために、中国人男性がチベット人女性と結婚する場合は何の障害もないのに、逆の場合は政府からの許可が必要です。「昔は、チベット人女性の強制中絶が行われました。チベット人女性が子どもを産めないように手術させられたという話もあります」(ペマ先生)。もはや同化政策というより、民族を消そうとする「民族浄化政策」です。

信仰がチベットを守っている

 私はペマ先生がきっぱりと言ったこの言葉が印象的でした。「布教を認めない中国であっても、チベット人から信仰を奪うことはできません信仰は内面のものです。暴力で信仰心を奪うことはできないのです」
これを聞いて、「過酷な状況の中で、最終的に頼れるのは信仰」なのだと感じました。
 中国の弾圧に決して屈することなく、「チベット人の誇り」を持ち続け、文化や言語や歴史を伝えようと命がけで戦い、結果、今もチベットを守っているのは、信仰から来る強きだと思います。
 今回、チベットへの中国の弾圧は想像以上に悲惨なものだと感じました。民族を抹殺しようとする中国の政策は、決して許されるものではありません。今も命がけで職うチベットの方々のためにも、日本において、真実を伝えていかなくてはならな
い。そう強く感じました。(次号へ続く)

チベット

7世紀紀初めに統一王朝・吐蕃が成立。ソンンツェン・ガンポ王の時代にラサを都と定め、領域を拡大する.。8世紀末に仏教を国教化。

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17世紀に、チベット仏教の最高位ダライ・ラマが元首となり、政教一致体制が確立する。1950年以降、中国の武力侵攻を受け、1965年自治区として併合された。ダライ・ラマ1 4世は1959年に亡命し、現在も北インドのダラムサラに亡命政府を置く。亡命者は毎年増え続けており、インド、ネパールを中心に、13万人以上が亡命生活を送っている.。

チベットを知るための4つのキーワード

北京オリンピックで明らかになったこと

2008年、北京オリンピック開催を前に、中国の人権侵害に対する反対運動が世界各地で起き、各国の聖火リレーにも影響を与えた。日本でも長野県の善光寺が、同じ仏教徒としての反対の意志を表して聖火リレーの出発式会場となることを辞退。聖火リレーの時間に合わせてチベット騒乱の犠牲者への追悼法要を実施した。また、各国の反対運動に対抗するために集結した中国人の姿や、オリンピックの取材に入った各国メディアへの報道規制の解除が不十分であったこと、デモ活動を許可すると言いながら許可しなかったことなどから、自由が制限されている中国の現状が印象付けられた大会でもあった。


ダライ・ラマ法王とは?

ダライ・ラマ法王は、チベットの国家元首でチベット人の精神的指導者。「悟りの境地を得ながらも人々を救済するために、この世に生まれ変わる観自在菩薩の化身」と信じられており、チベット人のダライ・ラマ法王に対する尊崇の思いは、言葉に表せせないほどだという。

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現在のダライ・ラマ法王は第14世。中国の弾圧が激しさを増してきた1959年3月10日、法王の身の危険を察知したラサ市民が一斉蜂起したが中国軍により弾圧され、法王は亡命を余儀なくされた。法王はインド北部のダラムサラにチベット亡命政府を置き、対話による平和裏の闘いを続けている。

道路と鉄道がもたらしたもの

1950年に中国人民解放軍がチベットに入ってきたとき、彼らは、「あなたがたの社会がよくなる手助けをしに来た」と言っていたという。実際に、道路や空港を建殴し、学校を作るなどしてチベット人の信頼を得ていった。

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しかし、中国四川省とラサを結ぷ道路が開通した翌年の1955年、中国側は本格的な弾圧を開始する。道路は中国の軍隊や兵站を効率的に運ぶ動脈となったのだ。さらに2006年に青海省とラサを結ぶ青蔵鉄道が全線開通すると、中国人の移民が大量に流入。現在のチベットの人口は、チベット人600万人に対して中国人は750万人。賃金のよい仕事はほぼ中国人に独占されている。


中国政府への抗議は命懸け

焼身自殺によって中国政府に抗隠するチベット人が後を絶たない。2009年2月27日にチベット北部アムド地方のキルティ僧院で当時20代半ばだった僧侶が自殺を遂げて以来、現在までに30名を超えるチベット人が犠牲になっている。彼らがこのような手段を選ぶ理由は、中国政府の批判や抵抗をした者は捕らえられ、仲間の名前を言えと拷問を受け、投獄されるためだ。チベット亡命政府によると、人民解放軍の侵攻以降、戦死や獄中死も含めておよそ120万人のチベット人が命を奪われている。焼身抗議は今年に入ってからもすでに20件に上っており(4月11日現在)、今も状況は変わっていない。

※『Are You Happy?』(2012年6月号)より転載。

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