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2012年6月25日 (月)

チベットの現状

 この度、矢野先生の特別なご配慮によりチベット問題についてカレントに原稿を書けることは大変有難く、嬉しく思っています。私の思師の倉前盛通先生がかつてよくカレントに寄稿なさっていたので私も拝読する機会に恵まれておりました。その内容の濃さと社会に対する影響の大きい執筆陣には、常々尊敬と憧れの念を抱いていました。その雑誌にチベット問題について紹介できることは本当に嬉しいことだと実感しています。

 そもそもチベットは二千数百年の国家としての歴史を持ち、中央アジアの大国であり特に「吐蕃」として知られたチベットは中央アジアの大帝国でした。またチベットは七世紀~九世紀にかけては仏教哲学、占星術、仏教美術、チベット医学などが発達し、アジア有数の文明大国でもありました。   
 しかし十世紀の後半から十七世紀の初期ころまでは内紛などによって国家はいくつかの諸国に分裂し、かつての王系は西チベット、今日ラダックとして知られる領域に移っていきました。
 その後宗教家などによって統一が図られ、いくつか宗教家たちによる王朝が形成されましたが、本格的に中央集権的国家の統一を図り有効な政治制度を作ったのは第五世ダライ・ラマの時代即ち十七世紀でした。一六四二年に偉大な五世は政教一致のガンデンポタン政庁を創設し、法律など整備することで機能的な中央政府を確立すると共に俗世界と精神世界、つまり宗教界と貴族、豪族などを中心とする二重の政治制度を確立しました。
 法王の下、ほぼ全チベットに及ぶ影響力のある中央政権を充実させ、特に中央政府の直轄地においては僧侶と俗人二人が県の最高行政官などに任命され、互いに監視すると同時に競い合わせるようにさせました。この制度によって確立した宗政一致の政治制度は事実上昨年二〇 一一年、第十四世ダライ・ラマ法王自身が政治的権力から完全に退かれるまで、約四百年間続きました。
 この四百年間一九五〇 年代まで約三百年間にわたって鎖国政治を敷き、諸外国特に西洋の国々との接触を拒むと同時に、西洋の文化の侵入、西洋による植民地化を阻止することが出来ました。
 またこのチベットの鎖国政策は当時明朝、清朝及びインドを殖民地支配していたイギリスにとっても互いの不干渉地帯として都合が良かったのです。チベットにおける覇権を狙ったのはこの二国のみならず、ロシア帝国もチベットの覇権を狙っていたのです。このような地政学的背景と大国の都合によりチベットは事実上の独立を貫くことが出来ました。
 勿論この間も中国も英国も少しでも自国の覇権範囲を拡げようとチベットにちょっかいを出していたことはありましたが、チベットはなんとかしてその都度不平等条約などを受け入れながらも独立を維持することに成功していました。しかし一九四九年、中華人民共和国の成立と共に、毛沢東は明確に次のターゲットがチベットであることを宣言し、一九五〇年に人民解放軍をチベットに送り込みました。
 最初の約二万人の軍隊に対し、チベットの国境には軍隊すら配備されておらず人民が持っていた武器はイギリスとロシアの粗末な兵器を民間人が自衛と狩猟のために保持しているに過ぎませんでした。当時チベット政府の軍人は法王の警備隊も含め一万数千人であったと当時の親衛隊隊長であったダライ・ラマ法王の義理の兄上から私は聞いたことがありました。そのときチベット全土には約二十七万人の武器所持を否定する僧侶がいました。
 つまり仏陀の教えを忠実に護ろうとする比丘であるダライ・ラマ法王を項点にするチベットは長い間平和を祈り、平和を望み、平和のために修行して人生を過ごすことが国全体の願いでした。ですが空しくも中華人民共和国の大砲と機関銃の前に非武装のチベット人は無力でした。そのため停戦に応じた中国の要請でチベットの代表団が北京に出向きました。
 当時英語の通訳と中国語の通訳として会談に参加した人から直接聞いた話によると、北京とのやりとりは交渉ではなく、先方の一方的な要求と脅かしであり、最後には中国側が用意した偽の印鑑まで押し付けられ、所謂十七条協定なるものが成立しました。これによってチベットは中国の特別行政区になるしかありませんでした。
 その後約九年間、当時十代であったダライ・ラマ法王はあらゆる手を尽くして北京と平和裡に共存共栄する方法を探り努力しましたが、結果は中国によるその十七条の協定すら尊重しないどころかダライ・ラマ法王のお命まで危険が迫ったので、民衆は一九五九年三月十日に立ち上がりました。この時沢山の僧侶たちも衣を捨てて武器を取り、チベットゲリラに参加しましたが、時は遅すぎ、その結果ダライ・ラマ法王はインドに亡命することになりそれ以来半世紀以上ダライ・ラマ法王は亡命者の身となり、チベットは中国の殖民地支配を受け、現在は更に同化政策がどんどん進んでおり、それに抵抗する僧侶たち民衆は自分の尊い命を犠牲にした焼身自殺を行って中国政府に抗議すると共に、中国によるチベットの不当な支配と人権侵害を世界に訴えています。
 しかし中国の拡張しつつある覇権の背景には経済を武器とした各国との強い結びつきが出来ているため、世界の世論の支持があっても産業界などから圧力を掛けられている各政府は、中国の暴走に対して何一つ手を打てない状況に陥っているのは実に残念でなりません。世界各国の指導者は人権の重要性や主権の尊重を声高らかに選挙のたびに訴えても、現実的には経済を背景とした中国に屈しているとしかありません。日本も例外ではないのです。

※『カレント』(2012年6月号)より転載・

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