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2012年8月 8日 (水)

[見聞録2012] 番外編・大好きな日本

◆心に響く「おかげさま」

 五つや六つの子供には過酷な逃避行だった。1959年3 月のチベット動乱でインドへ亡命したのは、地方の名士だった父がチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世にどこまでもついていく覚悟だったから。共に 故地を後にした200人の同胞は死んだりはぐれたりして、インドに着いた時は20人になっていた。

 何不自由ない生活が一変する。難民キャンプで学校に通い英語も学んでいた少年ペマに支援の手が差し伸べられ、転機が訪れたのは65年のこと。来日して埼玉県内の中学・高校に通うことになったのだ。前年に東京オリンピックを経験した日本は、急速な経済成長で変貌を遂げ続けていた。まだ自宅には電話のない人も少なくなかったが。

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 「雑貨屋の店先に置かれた赤い公衆電話が、いつまでもそこにあることが不思議でしたよ。なぜ盗まれないんだろう、と」

 中学2年の時、社会科で満点を取って先生に褒められ、生徒会長になった。それが外国人では初めてだというので雑誌にも載る。だが、大切なことは教科書よりも周りの人を見て教えられたような気がする。

  「風邪で学校を休むと、同級生の母親が卵酒を届けてくれました。下校途中で農家のおばさんに挨拶すれば、首の手ぬぐいを外して丁寧な挨拶を返してくる。こ の国の人は精神的に豊かで、だから公共心が強いのだと思いました。あのころ最も感心したのは、毎日何度も聞いた言葉『おかげさま』。残念ながら、最近はあ まり聞かれなくなったような気がします」

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 「わがチベットに、まず民族自決権を!」--各種メディアで中国の姿勢を批判する国際政治学者ペマ・ ギャルポ(59)(桐蔭横浜大学教授)は舌鋒(ぜっぽう)、筆鋒ともに鋭い。ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表などを歴任した。昨年来日し た“幸せの国”ブータンの国王夫妻の通訳を務め、新著「ワンチュク国王から教わったこと」(PHP研究所)や中国批判本がよく読まれている。講演や寄稿の 依頼も増えた。

 仏教徒として「多くのお寺が若い人の求めに応えていない。夫婦げんかになったら相談に行ける場所、それが本来のお寺というもののはず。ま、チベット仏教に対する理解には今昔の感がありますがね。おかげさまで」。(敬称略)(編集委員 永井一顕)

※『読売新聞』(2012年7月12日付け)より転載。

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