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2013年7月22日 (月)

チベット、ウイグル即ち尖閣

中国核心的利益の意味
参院選で国防に備えよ


 6 月末、中国の習近平国家主席は中国共産党の政治局常務委員会を招集し、ウイグル(東トルキスタン)問題に対し強い態度で臨むことを指示した。これは、かつてチベットに対する毛沢東、あるいは2008 年の胡錦瀞の訓示も同様であった。つまり、彼らが言う核心的な利益に関しては、あくまでも強い態度を崩さないという決意の意思表示である。

 中国側の弾圧も綬むことはないが、チベット、ウイグルなどにおける民衆の抵抗も止まることはない。むしろ、近年になってますます強くなっている印象を受ける。その理由は共産党のもとで生まれ育ち、ある意味では共産党を知りつくしている若者たちが中心となっているため、抵抗の手段も共産党のやり方を逆に利用している感もある。

 なお、核心的利益という意味では尖閣諸島も同様である。ゆえに、中国は尖閣諸島問題に
ついても一切妥協しない姿勢を示している。尖閣諸島辺に対する彼らの挑発的行為はやむどころか、ますます激しくなることが自に見えている。
 アメリカの議会もやっと目が覚めたようで、中国を非難する決議も採択された。日本の尖閣諸島問題についてアメリカ議会があれだけ立場を明確にしたのは初めてではないかと私は思うが、日本のメディアなどの扱いはそれほどでもなかったのには驚きを隠せなかった。日本国民が、アメリカの同盟国としての正しい行為に気づいていることを示す必要があったと思う。

 同様に同盟国アメリカの議会で、日本を非難するような発言に対しては失望を表明し、アメリカの態度に抗議すべきであったと率直に思った。つまり、外交は外交の専門家である外務省に委ねておくべき問題がある一方で、外交官たちが仕事を効果的に行うための環境作りとして、国民の意思表示とい之のも大切であると私は痛感している。
 かつて日本国は、「経済一流、政治は二流」と言われた時代もあったが、最近政治は少ししっかりしてきているようにも見えるが、経済はむしろ二流どころか三流に成り下がってきている。「成り下がる」というのは儲けが少ないというのではなく、経済人のモラルの問題である。対中国などを見ていると、国益よりも企業益をするのが当然のように発言する財界人のリーダーの姿勢には、がっかりするからである。
 同様に日本国民を代表し、国政の中心であった人物たちが、まるで外国人のように他国の立場を代弁し、擁護し、自国の名誉と国益を犠牲にするような態度を許してしまう国民と世論は、一般的な常識から考えれば、どこか抜けている。
 これが中国などであれば、逆に国家反逆罪として強制労働収容所などに送られて再教育されてもおかしくない。

6 月下旬からウイグル世界会議のラビア・カーディル総裁が来日して東京や北海道など日本の主要都市を回って講演をすることになったが、残念ながら日本の主要メディアはこれを殆ど取り上げることなく、日本以外の先進国・民主国家とのギャップを強く感じた。ラビア・カーディル女史は、「オーストラリアなどは議会でも自分が発言する機会をいただきましたので、日本にもぜひそのようなことを期待したい」と熱心に訴えていた。

 しかし、実際、彼女の東京の講演会場に現れたのは落選中の議員も含め、政治家は10名にも満たなかった。国を護り、国の発展のために尽くすべき国会議員方々の政治的意識が、選挙という枠を超えていないことに落胆した。なぜならば、中国当局の感覚では、尖閣諸島問題とチベット・ウイグル問題が同等の核心的利益に並べられており、日本自身の未来も既にチベットやウイグルと同じ運命をたどり始めているということ気がついていないからである。
 このことで私は、日本の政治家たちがもっと広い視野で世界を見、日本の位置づけを考えてもらわなければ大変な目に遭うのではないかという危惧を抱いてしまう。中国は、かつて最高実力者の鄧小平が提唱した戦略に基づいて、第一に南シナ海まで中国が近海と呼ぶ海域の内海化、伊豆・小笠原諸島からグアムを結ぶ第二列島線内での海洋権の確保、さらにはインド洋への進出を図り、これを彼らは核心的利益と位置づけている。そして、年々国防費を増強着実にアジアの覇権を狙い続けている。一度狙った獲物を最後までしつこく離さないのは中国共産党の習性である。

 日本の選挙は殆ど政策や戦略で考えることはなく、そのような重要な課題は票にも結びつかないが、今回の参議院選挙は憲法改正に加え、国家の未来に直結する国防も真剣に考える必要があるのではないか。選挙の目的はただ国で多数決の原理で数を揃えるだではなく、国民と国家に奉仕できる人材を集めるよう各政党も考えを改める必要がある。

 せっかく私たちは民主主義という制度のもとで、自分たちの意思で自分たちの未来と生活を委ねる人物を選ぶ権利と資格があるのに、それをマスコミの誘導に基くムードだけで選ぶことは間違っている。国民の選挙の権利の濫用及び放棄にならぬよう、参議院選挙には候補者の言動を注視して臨むべきである。 

 ※『世界日報』(2013年7月8日付)より転載。

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