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2014年5月 3日 (土)

中国の船舶差し押さえ問題

共同声明を再確認せよ
意図的に企てた関係の悪化

 1936年に日本の海運会社に船舶を貸し出した中国の船舶会社の親族が、未払いの賃貸料などを求め訴訟した裁判を巡り、中国上海市の上海海事法院は19日、海運会社の流れを汲む日本の海運大手商船三が所有する貨物船を1隻、漸江省の港で差し押さえた。このニュースに日本のマスコミも世論も冷静であるようだが、私は大変大きな問題であるように思う。
  最近、中国はあの手この手で日本に対し過去の様々な事件、事故を掘り返していちゃもんを付け、挑発行為を繰り返している。私的な感情として今回のような非常識な裁判沙汰は有り得るとしても、中国政府の一機関である裁判所がこのような訴訟を取り上げたこと自体、大きな問題であるように感じる。
 1972年9月29日、日本国政府を代表し時の総理大臣田中角栄氏と中華人民共和国国務委員総理の周恩来氏は、9項目にわたる国交正常化に関する共同声明を発表している。特に第9条においては「日本国政府及び中華人民共和国政府は両国の関係を一層発展させ、人的往来を拡大するため必要に応じ、また既存の民間取り決めをも考慮しつつ貿易、海運、航空、漁業との事項に関する協定の締結を目的として交渉を行うことに合意した」と声明に盛り込んでいた。
 実際、今日まで両国は様々な問題に関し、広範囲の分野において協議し条約などを締結してきた。しかしここで言う、民間の取り決めの中でさえも今回の問題のような事項について問題視されていたということは聞いたことが無い。つまり、この両国の政治のトップの責任者の合意以外、日本国は誠心誠意というより、私の個人的見一解としては必要以上に中国側に譲歩し続けてきたように思う。その日本の善意を逆手に取って、その後無理難題を押し付けられても、歴代の日本内閣は中国との関係を配慮し、良識的な国民の批判にも耐えてきた。だが、この数年の中国の民間の名を借りた様々な訴訟の試みは明らかに誰かが意図的に両国の関係悪化を企て、日本への嫌がらせを継続的に行っているように思う。その中には日本に対する賠償請求などが表面化して来ている。
 ここでもう一度、田中角栄首相と周恩来総理の日中共同声明を再確認すべきであろう。勿論、私自身は最初からこの声明文に対しては批判的な立場を取ってきた。だが、2国間の関係において権限を持っている立場の人間が、互いに約束したことを世界に発表したものである以上、それなりの効力を持つべきである。ここで特に双方が第1、第5、第6項目を再認識すべきである。第1項目は「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態はこの共同声明が発出される日に終了する」と書いてある。つまり、この声明をもって両国の関係においでの諸々の問題は全て解決し、それまで異常であった状態が正常になったと認識している。
 第5項目は「中華人民共和国政府は日中両国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」と明記している。つまり、最近になって日本国が過去に行った戦争の責任追及や賠償金請求は明らかに約束違反である。日本はこの声明に基づき献身的に中国に対し、金銭的技術的援助を行ってきている。今日の中国の経済成長も高い技術水準も日本国の誠意に基づく献身的な協力無しでは成し得なかったであろう。
 第6項目は「日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。両政府は右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が相互関係においてすべての紛争を平和的手段により解決し、武力または武力による威嚇に訴えないことを確認する」と誓っている。しかしながら、最近中国の方から度重なる日本国の領海・領空侵害があり、漁船を模した形で実際日本の固有の領土に足を踏み入れ、自国の旗まで勝手に立てようとした。
 かつて、平和共存の原則を基礎にして…などと言ったのも根本から否定され、周恩来首相とインドのネール首相のイニシアティブでバンドン会議などでも再確認された平和五原則の、それこそ基礎と言うべき内政不干渉に関しても、日本国民と日本国の根本的な信仰と伝統的価値観に基づく靖国神社への日本国政府首脳の参拝にまで、口出しを始めている。
 また、どこの国も自国の教育に関する権利を持っているにもかかわらず、中国は不当にも干渉し始めている。以前題目のように唱えていた、「友好」という言葉は消え去り、謝罪の要求と内政干渉的な発言を連発している。今回の商船三井の船舶差し押さえもその一環である。
  友好親善というものは、双方にその意思があり互いに配慮・努力して成るものであって、片方だけの善意で成り立つものではない。伊達政宗公の言葉にあるように「礼も過ぎれば、へつらいとなる」を思い起こし、日本国民と日本政府は今回の問題に対し、毅然とした態度を示すことが肝心である。

※『世界日報』(2014年4月27日付)より転載。

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