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2014年7月30日 (水)

日本青年への期待

自分を見失わず、他者を尊敬し、

奉仕の精神をもって世界に貢献せよ!
「私」という存在
 「グローバル人材」についてお話しする前に、初めに「私」という存在について考えてみたいと思います。この地球上には約七十億の人間が存在しています。その七十億分の一だと考えると、「私」という存在はとても小さな存在です。しかし、その中でも私一人しか持っていない、自分ならではのものというのは、私だけにしかありません。そう考えると、「私」は極めて貴重な存在です。そういう意味で、ある時は自分の存在を大きく感じ、またある時は自分を小さくすることが必要だと思います。
 「私」という人間は、自分の力だけでは生きていけません。水や空気といったものを、普段私たちは無視して生きていますが、これらがなければ私たちは生きていくことができません。さまざまな要因が重なり、多くの恩恵を受けて生かされている「私」だということです。
 一方、生きるといっても、ただ肉体的な生命を維持するだけであれば、そこには意味がありません。何か目的を持ち、自分目身の意志で積極的に何かを成していこうとするのが生きる意味だと思います。
 そのように一人の人間としての「私」について考えてみると、国籍や宗教の違いというものはあまり意味がありません。なぜなら、白人も黒人もアジア人も、中国人もチベット人も、皆、悲しかったら泣くのです。誰でも赤い血が流れています。青い血を出す人はいません。
 だからこそ、「グローバル」について考える前に、この世界に生きる』一人一人の人が、皆、同じ人間であることを自覚する必要があると思います。全ての人が人間としての尊厳を持つことを考えるとき、全員が、幸せになる権利、幸せになる価値を持っていますし、人権を尊重されなければならないというのは当然のことです。そう考えると、 私たちは白人、黒人、共産主義者、反共主義者にかかわらず、まず互いに同じ人間であることを自覚し、認め合うことが大切です。
現代は地球的次元で思考する時代
 ここまで「私」という存在について考えてきました。しかし、当然のことながら人間は一人で生きていくことはできません。そこで仲間が必要になります。
 まず、仲間としての一番小さい単位は家族です。この家族においての人間関係は自然にできていますので、誰を家族のリーダーにするかという選挙は必要ありません。その家族の次に大きい単位は氏族や部族です。その部族同士が戦うとき、ある時は他の部族と力を合わせるようなことが起こりました。そのようにして部族同士が力を合わせたのが「Nation」「国家」の成立だと思います。そして、さらに国家だけでは成り立たなくなったとき、あるいは国家同士が利害関係を共有し、自分たちの存在、存続を図るために、「Inter Nation」「国対国」の関係というものが生まれてきました。
 日本人の場合は、この「International」と言うとき、「国家」という単位が消 えてしまい、いきなり「地球人」に変わってしまう傾向があります。しかし、私は、それは間違いだと思います。国連も「United Nations」として、単位は明確に「Nation」です。現時点での私たちの生活の単位は、やはり「国家」です。その中でこそ自由も保障されており、国家の税金の使い方によって私たちの生活も変わってきます。
 ただ、「国家」を単位としつつも、現代では「地球」というものを意識しなければならなくなりました。一つの例は環境問題です。また、先ほど述べた人間の尊厳、人権問題も同様です。これらは国家という一つの単位の中で解決できるものではありません。  例えば、ヒマラヤの奥地に住んでいる人々の環境問題は、彼ら自身がつくり出したものではありません。温暖化によって雪が解け、池が決壊して村が流されたりしています。その原因は、ブータンなど被害を受けている国の人々ではなく、最近、エ業化して発展している国々、中国やインドなどがつくっています。モルディブなどインド洋の島嶼国も、毎日、少しずつ国土が海の中に沈んでしまい、真剣に移住を考えなければならなくなっています。こういったことは、到底、一国では解決できないので、地球レベルの視点で考え、取り組んでいかなければなりません。これが今、私たちが「グローバ ルリーダ」について考えなければならない理由です。「グローバル」とは地球的規模でものを考えるということです。
 さらに、現代ではインド、アメリカ、中国などが宇宙の覇権をめぐって競争するようになりました。人間として宇宙とどう関わるか。「Global」の次には「Universal」で物事を考える時代が近づいていると言えるでしょう。
グローバルリーダーとして必要な条件
 これから。グローバルリーダーとして必要な条件とは何かについて考えてみたいと思います。「Global」「Universal」という場合、それはどんな世界を意味しているのでしょうか。それは決して味噌汁の中にケチャップを入れて混ぜることではないと思います。むしろ、赤い花、黄色い花、棘のある花、棘のない花など多様な花が一緒に咲き誇り、一つの美しい花壇をつくっているような世界ではないでしょうか。
 この地球上にある数千の民族は、その民族ならではの伝統や文化を持っています。私たちは自分の持っている先入観で、他の民族のことを批判したり軽蔑したりしますが、それぞれの民族が今日まで生きてきた中で無駄に過ごしてきたわけではないのです。   例えば、私の故国であるチベットも十六世紀、十七世紀の頃には、とても先進的な文化を持っていました。医学や占星術が発達し、騎兵が発達していたので、中国に対して軍事的にも優位な立場に立っていました。ただ、その後ヨーロッパが先に大きな船を造り、機械工業を発展させて世界を主導するようになりました。同じ時期、チベットは鎖国をしていたために取り残されたような形になりましたが、だからといって、どちらの文化、文明が優れているということは簡単には言えないと思います。日本人はオートバイに乗れるかもしれませんが、チベット人は馬に乗ることがとても上手です。
 地球上に存在する全ての人は同じように、この青い空の下で、きょうよりも明日、幸せになろうと思って努力してきた歴史を持っています。そういうさまざまな工夫の結果が文化であり文明です。グローバルリーダーになろうとする人は、それら多くの民族が持つ文化や文明に対する柔軟な理解、尊重する姿勢を持つことが必要ではないでしょうか。  戦後、周恩来とネルーの間で確認された平和五原則の中にも、「主権の尊重」「内政不干渉」が挙げられています。それが長期にわたる西洋の植民地支配から独立した人々の願いでした。他国に干渉、支配されたくないし、自分たちも他国を侵略しない。民主主義において大切なことは、個人の尊厳、人権を尊重するということです。それと同様に、国際社会においても民族の自決、主権の尊重ということが大切にされるべきでしょう。  グローバルリーダーになるためには、一人の人間としての尊厳を尊重し合うと同時に、民族の誇り、尊厳、自決権、国家としての主権を尊重し合うことが条件になると思います。
互いの宗教を尊重し合うことの大切さ
 もう一つ、グローバル化時代における一つの重要な要素として「宗教」があります。これまで、ともすれば宗教は自分の教えだけが正しく、他の宗教は迷信だと言って排除する傾向がありました。しかし、それでは争いを避けることができません。あらゆる宗教の共通点を見つめることが大切だと思います。多くの教えがあったとしても、全てに共通するものは「愛」ではないでしょうか。「慈悲」「温かい心」など他の言葉で表現することもできますが、他の人に思いやりをもって接しなさい、ということを共通に教えているわけです。どんな宗教を信じていたとしても、同じ人間として、同じように愛を求め、愛に生きるということを否定する人はいないはずです。
 私自身はチベット仏教の家に生まれ、現在でも仏教徒としての信仰を持っています。ただ、中学校はキリスト教の学校で、日曜学校にも通っていました。そこでは、宣教師のかたがキリスト教の物語を教えた後に栄養剤を与えてくれていました。私としては、その栄養剤を家族のために持ち帰ることが動機だつたのです。もし、キリスト教の信仰を押し付けられると感じたら、そういうときは人は嫌がるものです。ただ、その先生たちは、私を一人前の人間として育て、温かい心で接してくれました。そして、ある日、聖書の中の愛について触れた一節を読んだ時、感動して「ああ、キリスト教徒になろう」と思ったのです。そして、洗礼を受けたいと申し出ると、熱心な宣教師である先生は喜んで「今は寒いから、何週間か後にプールが温かくなったときに洗礼を授けてあげましょう」と言ってくれました。
 ところが、その洗礼を受ける前の日曜学校で、今度は「私だけが道であり、私以外には道がない」という一節を見つけたのです。それで困ったことになりました。私には、お釈迦様、観音様、あるいはダライ・ラマという神様のような人に対する信仰があり、その一つとしてイエス様を受け入れようと思ったのに、それではだめだというのです。 先生も「洗礼を受けたら唯一絶対の神以外に信じてはいけない」と言われたので、結局、洗礼を断ることにしました。それでも、日曜学校で学んだキリスト教の考えは、今でも私の考え方の基準になっています。
 そこで私が言いたいのは、自分が持っている伝統的な宗教を大切にするとともに、他の宗教に対する尊重心を持ってほしいということです。誹謗中傷は絶対に良くないと思います。私は、何かしら信じるものがあったほうが人間は強いと考えています。でも、病気の種類によって薬が違うように、それぞれの民族性に合った宗教が長い歴史の中で育まれてきました。だから、それぞれの宗教に対して偏見を持たず尊重する心を持つこと。これもグローバルリーダーとして必須の条件だと思います。過去に宗教が戦争の原因になることがあったのは、特定の宗教が他の宗教を否定して自分たちの宗教を押し 付けようとするからでした。無理に押し付けようとしなくても、人間は自分にとって良いものは自然に受け入れるものです。
 そういう意味で日本の皆さんに注意してほしいことがあります。今、日本の伝統文化を大切にしようという動きが起きていて「日本人は優秀だ、素らしい」と主張する人が増えてきました。それ自体は良いことだと思いますが、それに付随して「どこそこの国の人間のように馬鹿ではない」と、他国を貶めるような発言をするのは良くないと思います。確かに日本人は優秀です。敗戦の廃嘘からわずか二十五年で日本の再建を成し遂げ、ODA(政府開発援助)などを通して、アジア各国の今日の経済発展の礎を築いてくれました。しかし、同様に中国も、鄧小平が四つの近代化に乗り出してから、わずか三十年でここまでの発展を成し遂げたではないですか。人間は皆、それぞれの中に潜在的な可能性を持っています。この人間の可能性について、自分に対して信じるとともに、他の人も同様であることを信じて尊重することが大切だと思います。
日本人が身に付けるべき三つのこと
 ここまで述べてきた内容をもとに、最後に具体的な話をしましょう。日本人の皆さんがこれからのグローバル化の時代において身に付けるべきものが三つあると思います。まず一つ目は「語学」、二つ目は「自国の歴史、文化に対する理解」、そして最後に「奉仕の精神を持つこと」です。
 国連を見ても、日本は多くの拠出金を出しているにもかかわらず、国連職員の数は決して多くありません。日本人のための枠は残っているのですが、語学能力や異文化を理解しようとする基本的な考え方が不足しているために、積極的に国際社会に入っていこうという人があまりいないのです。そういった意味でも、まずは語学能力を身に付けることが必須だと思います。
 次に、言葉が通じたとしても、内容がなければ意味がありません。国際社会に出て、日本人だということになれば、当然、日本についての質問を受けるでしょう。それらの質問に答えられないようでは話になりません。そこで、自分の国の歴史、文化に対するきちんとした認識、常識、知識を身に付けておくことが重要になってきます。
 京都で驚いたことですが、バスガイドのかたが仏教に関する質問を受けた時、自分の知らないことになると「あれは迷信ですから」と言っていました。それは自分が勉強していないからであって「迷信」などと軽々しく言うべきではありません。観光の知識を持っていたとしても、文化に対する本質的な理解がない人をガイドに雇うべきではないと思います。
 私は、外国のかたに会ったとき、必ず、その名前の由来を尋ねます。そのとき、きちんとした説明をできない人を、私は信用しません。自分目身の格、その背景としての自国の文化、そういったアイデンティティーが確立しており、自国の文化や歴史に誇りを持つ人になってこそ、他国の文化や歴史をも、本当の意味で尊重できる人になれると思うのです。  最後に、奉仕の精神です。社会に対して自分目身は何ができるのか。また、国際社会の一員として、日本が貢献できる内容は何か。目的を明確にして、積極的に貢献する精神が必要です。そういう明確な目的やビジョンもなしに国際社会に出たとしても、それは糸の切れた凧のように、どこに落ちるか分かりません。ただ、風の吹くままに持っていかれてしまうでしょう。
日本人としての誇りをもって世界に貢献
 国際的な貢献という意味でも、自己の信念、民族の誇りといったものは重要です。その一つの例がブータンです。六十七万人しかいないブータンですが、その国の政策であるGNH(国民総幸福量)という考え方が二〇一五年から十年間の国連の目標になりまし た。ブータンは世界のどこに行っても自国の民族衣装を着るほど伝統やアイデンティティーを大切にする国です。その小さな国の考え方が世界七十億人の十年間の目標になったということは、そこにメッセージがあったということです。日本が安全保障理事会の常任理事国になれなかったのは、反対勢力があったことも事実ですが、日本が国連をどうしようとしているのか、世界をどう見つめているかというメッセージが明確でなかったことも一因でしょう。
 具体的に何をもって貢献するのか、どんなメッセージを発するのか、その根底にはアイデンティティーがありま。例えばアメリカに日本人が行った場合、アメリ力人のような日本人が一人増えても意味がないわけです。そこに日本ならではのもの、日木の文化や知識を持って行くと、アメリカ社会にとってはプラスになります。それが凧の糸のような役割を果たします。それは遠くからは見えませんが、自分目身をしっかりと根につなぎとめてくれるものです。
 ですから、グローバルリーダーになろうとする皆さんには、ぜひ、地に足の着いた自分の出所、根っこは何かということを大切にしてほしいと思います。日本人であることの誇りを持つ。もちろん、それは決して他の民族を見下すことではありません。
 「国家」という単位に根差していることを自覚しつつも、現代は「国家」だけではやっていけない時代です。私の靴一つをとっても、下のゴムはマレーシア製かもしれないし、作ったのは中国、資本はユダヤ系かもしれません。そこにフランスかどこかのブランドを付ければ、有名百貨店で高価な値段で売れるでしょう。このように、私たちが生きている時代は、国家と国家、隣国やあらゆる国と互いに頼り合って、力を合わせていくべき時代です。その中でも自分を見失わず、他者に対する尊敬心を持ちながら、奉仕の精神をもって世界に貢献する皆様になっていただきたいと思います。
 最後になりますが、日本の文化は、ほとんど「道」ですね。「茶道」「華道」「柔道」あるいは「人道主義」など。そこには強制はなく、緩やかに「道」を示すというのが特徴です。そのゆとりや優雅さといったものが日本文化の一番の特色ではないでしょぅか。ただ、これは国際社会においては不利でもあります。日本語では「私は」という主語を省く傾向がありますが、国際社会では「私」がこう考える、「私」が怒っている、というように「私」がなければなりません。自ら積極的に行動しなければ、相手が慈悲で私を生かしてくれるということはありません。もちろん、日本人同士でそれをやると逆に嫌われてしまいます。日本国内で生活する時と、国際社会で生きる時、スイッチを切り替えることができるようになるといいですね。
 私自身、この日本に来て、日本で通用する外国人になろうと努力しています。その重要な要素の一つが時間を守る、ということですから、私の話もこのあたりで終えていこうと思います。ありがとうございました。  
※『NEW YOUTH』(2014年7月号)より

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