日本青年への期待
自分を見失わず、他者を尊敬し、
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自分を見失わず、他者を尊敬し、
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日本の誇りを取り戻せ
戦略的な外交と教育改革を
昨年12月の総選挙の結果、国民は再びこの国の舵取りを自由民主党中心の政権に任せることを決めた。それに伴い安倍晋三氏が総理大臣として再登場することになった。ここで再び国民が安心して国の政治を任せられる政府らしい政府が久しぶりに登場してきたと思い、少し救われたような気分になっている。多分そのような気持ちを持っているのは私だけではなく、市場や市民、そして国際社会も同じであるようで、為替相場や株価などがそれを物語っている。
民主党政権に関して個々の総理大臣について批判をするつもりはない。特に外交問題に関しては終盤に来て、野田前首相はそうとう頑張ったと思うし、ある程度結果が予測できたにもかかわらず総選挙に踏み切ったのも、結果論であるが国のために正しい決断をしたと思う。
それにしても経験不足のうえ身勝手な官僚バッシングや、それまでの秩序や伝統を破壊することに熱心だった民主党政権が継続しなかったことは、日本の民主主義の勝利である。まさに日本が自称する成熟した民主国家であることは、中国など一党独裁の国と違うことを世界に示す良い機会にもなっただろう。
一部のマスコミや外国勢力は、安倍政権に対し右傾化、タカ派などのレッテルを貼って今から起
になって潰しにかかっているが、今回の安倍氏は前回と違い、既にステーツマンシップを発揮し、新しい時代のリーダーとして長い間心の中で描いていた明確な国家ビジョンを持って真剣に取り組んでいる様子がうかがえる。特に人事面においては非常に戦略的でバランスの取れた人事を行い、制度的にも総理府に経験豊かで総理と考えを共有する人材を集中的に配置し、総理自らのリーダーシップが発揮できる体制を整えている。
外交面においても久々にアジアの中の日本、アジアの中での日本のリーダーシップを明確に打ち出し、初外交では首相自ら東南アジアの主要国であるベトナム、タイ、インドネシアを16日日から19日まで訪問し、それに先立って麻生副首相を今注目のミャンマーに2日から4日まで派遣し、岸田外務大臣が9日から14日までフィリピン、シンガポール、ブルネイ、オーストラリアを歴訪、また18日から20日まではアメリカを訪問してヒラリー・クリントン国務長官から尖閣諸島問題において、より鮮明な日本支持を表明させることに成功している。
昨年、日本の総選挙のため延期となったインド首相の訪日を一日も早く実現すれば、まさに安倍首相が日頃から強調している自由と民主主義を尊ぶ価値観を共有する国々の連帯が実現し、日本は名実共にアジア・太平洋の自由と民主主義のチャンピオンとなり、中国など一党独裁の国に対し、強いメッセージを送ることで独立国家日本の存在を内外に認識させることができるだろう。
安倍首相は、日本の政治家としては珍しく自分の確固たる政治信念と国家ビジョンを持ち、一貫して戦後レジームからの脱却、そのための憲法改正、教育改革を訴えてきた。そして、前回の安倍内閣ではそれを実現するための環境づくりを短期間で整えた。今回日本を再び世界に誇れる国として再起するための要である文部科学大臣に、盟友で安倍首相と国家ビジョンを共有する下村博文氏を任命したことからも安倍氏の国家としての日本の誇りを取り戻す決意が見られる
もちろん世界最先端にある日本の科学技術を軽視する必要はないが、教育の改革の根本は世界に誇
れる日本の高度な倫理観などに基づく精神文化を取り戻すことにある。下村大臣には新学期を9月か
ら開始するかどうかや、ただ留学生の数を増やすなどのミクロのことでなく、マクロな立場で日本武士道などに見られるような正義感と分別に溢れる教育、つまり風評や世論に左右されず真実を追究し、正義を貫く務育を意識して欲しい。
そして教員を単なる労働者ではなく、教育者としての意識と責任感を持つ教師の手に戻し、労働組合や過剰且つ不当におかしな平等主義を掲げて教育現場に介入しくるモンスターペアレンツや、偽善的な同情ばかり表現するマスコミから健全な教育の場を取り戻して欲しい。もちろん一国民として私たちがこの政権がその目的を達成し、再び日本が世界から尊敬され憧れの対象となる国になるための国民からの関心と支持は不可欠である。
今回、鳩山由紀夫氏の理解に苦しむ中国訪問と滅茶苦茶な発言に対し、小野寺防衛大臣の発言は当然と思い、支持を表明したい。国防はただ単に最先端の戦闘機や武器を調えることよりも、国民が守るべき国家観を持ち、それを守るための強い決意を抱くと同時に内外に示すことが大切である。
ここでも学校教育のみならず社会教育も重要なことになるだろう。安倍内閣には国民から与えられた期待と信頼を裏切ることのないよう頑張っていただきたい。そして、より大きな国益のために石原慎太郎氏、平沼赳夫氏、渡辺喜美氏などとも是々非々で協力し合い日本を、そしてアジアを自由と繁栄ヘ導いていただきたいと願っている。
※『世界日報』(2013年1月28日付)より転載。
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近年中国は度重ねて尖閣諸島問題で日本に対して挑発的行為を続けている。
これに対してごく一部の良識ある人々以外のマスコミなどは冷静に対応しろ、とか、国際法と国連に頼るような発言も目立っている。中には叡智を結集して両国間で当分この問題を棚上げにすべきだと、いう極論を言う人もいる。
この人たちの言い分だと、大人であった郵小平と田中角栄は、この領土問題を棚上げすることで日中の友好関係を築いてきた、とのことである。‘
私がチベットの体験からはっきり申し上げたいのは、棚上げなどとは中国にとって、時間稼ぎ以外の何ものでもなく、中国が一九五〇年軍事力でチベットを侵略し五一年に十七条協定なるものを押し付けたことに対し、東チベットを中心にして猛烈な反発が出始めた頃、一九五四年毛沢東はダライ・ラマ法王に、
「我が祖国の他の領土と違ってチベットには特有性があるので、革命的改革を当分押し付けない」
という約束をして法王を安心させた裏で、着々とチベットへの道路をつくり、多量の工作員を「チベットに奉仕する」という名目で送り込み、彼らがチベットを軍事的支配しやすいような環境を整え、最後にダライ・ラマ法王を捕まえようとした。
その時チベット国民は決起し、ダライ・ラマ法王はインドに亡命した。一九五九年のことであった。
もしチベットが一九五〇年代初期に一致団結して戦っていれば、中国の侵略を阻止できたかもしれない。当時の中国はチベットに簡単に入れるような道路もなかったし、兵士を養っていくだけの食料も不足していた。国民党との内戦で兵力も弱まっていた。
その上毛沢東と人民解放軍の軍部、そして劉少奇との対立が始まっており、内部の団結力をはかる必要があったので、時間稼ぎにチベットへの改革を押し付けない、という姿勢を取っただけで、それは鄧小平の棚上げ論と同質のものだった。
やむを得ずインドに亡命したダライ・ラマ法王のチベット政府は国連に訴え、国際法と正義に期待した。アイルランドとマラヤ(現在のマレーシア、シンガポール)が提唱者となって国連で三度にわたって中国を批判し、非人道的行為をやめ、即時チベットから軍を撤退することを促す決議が採択された。
また、ICJ 国際司法委員会(国際法律家委員会ともいう)はチベットにおいて中国軍による計画的組織的大虐殺があったこと、そして中国がチベットに侵略したとき、チベットが事実上の独立国家であったことを認める結論を出した。
しかし中国は国連の決議を無視し、国際法に基づく正義も無視した。こうしたことからわかるように、中国にとって歴史的正当性、国際法の正当性、そして国連の存在は、自国の利益に合致しない限り、無視するのが当たり前のことである。
一九四九年中華人民共和国誕生のとき、中国が有効に支配していたのは現在の中華人民共和国の三七%に過ぎない。それ以外の領土はすべて軍事力を背景に獲得し、ある時期においては友好関係にあったロシア、インド、ベトナムなどとも一戦交えているように、中国の本質は領土拡張主義以外の何ものでもない。
日本はこうした事実から学び国際法と国連に甘い期待を抱くのをやめ、棚上げの畏にも撮らず、自国の領土を守る強い姿勢を持って臨むことのみが中国に有効な対策である。
※ 『われわれ日本人が尖閣を守る』(高木書房)所収。
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チベットの藩主の跡取りとして生まれ、中国解放軍によって祖国を追われたペマ・ギャルボ氏。インドへの亡命後、縁あって日本に留学、第二の祖国となったこの国がアメリカと中国に内側から侵食されている姿に危機感を募らせる。
──ブータン王国の政府顧問などを務められ、昨年、ブlータン国王夫妻が来日された折には通訳として同行されたペマ・ギャルポ先生ですが、日本へは一九六五年にチベット人難民の留学生として来られたのですね。
ペマ そうです。チベット東部にあるニャロンという地域を収めるポンポ、日本語でいえば藩主あるいは地方領主にあたると思いますが、その息子として生まれました。兄がいましたが、高僧の予言で活仏として認定されて寺に入っていましたので、僕が跡継ぎになる予定でした。それが、中国のチベット侵略によって、人生は大きく変わることになりました。「若殿様」として何不自由のない生活をしていたのが、ある日突然難民になってしまったのです。
──五、六歳の頃のことですね。
ペマ ええ、日本人で僕くらいの年齢の人たちに戦争経験者は普通いないでしょう。しかし僕は実体験しました。インドに亡命するまでの二年は戦いながらの逃避行で、毎日のように後ろの方でパンパンと音がして鉄砲の弾が飛んでくる。人間はそういう状況に入ると、ある意味で理性を失うんですよ。感覚がマヒして怖くなくなっていくんです。子供だった僕も、最初は鉄砲の音を聞くだけで足が動かなかったのが、そのうち、「あっ、あつちから飛んでくるから、こっちに逃げればいいな」と判断するようになる。慣れですね。
──インド亡命後は。
ペマ 難民キャンプを転々としながらの生活で、藩主の跡取り息子として特別扱いを受けて育ち、自分は偉いのだと思いこんでいた僕でしたが、もはや誰も敬意を払ってはくれないことを思い知りました。難民学校に行ったのも、勉強しようというよりも、そこに行ったらビタミン剤、栄養剤をも
らえるからでした。それを服に隠して持ち帰り、街に持って行って野菜と交換し、家族みんなで食べるという経験をしました。
やがて難民学校からミッション系の上級学校に進学することができ、そこはネパールやブータンの王族なども通うレベルの高い学校でした。そして僕たちがインドに亡命してから数年が経つと、国際的なチベット支援も始まり、その一環として諸外国で留学生受け入れが始まったのです。
──日本を選ばれたのは。
ペマ 英語の学習に力を入れていた僕にはイギリス留学という選択肢もありましたが、同じ仏教国のほうがいいだろうという両親の勧めなどがありました。
日本留学のチャンスをつくってくれたのは、私の思師となった木村肥佐生先生。日本政府は戦前、かなりチベットに関心を持っていて、木村先生は特務機関員として十年間、チベットに滞在。五O 年にインド経由で帰国されていましたが、チベットが中国に侵略されたと知り、「日本はチベットに思がある。思返しをしなくちゃいけない」と、各方面に働きかけをしてくださったのです。そうして十三歳だった六五年十二月十一日に四人の仲間と日本にやってきました。
国際化は無国籍化ではない
──過去、日本とチベットはどのような関係があったのでしょう。
ペマ 八九年のダライ・ラマ法王のノーベル平和賞受賞は日本人がチベット問題に関心を持つ一つの契機となり、うれしく思いますが、日本とチベットは一般の日本人が思う以上に密接な関係があります。
鎖国政策を取っていたチベットに日本人で初めて入国したのは僧侶で仏教学者の河口慧海という人物で、その後も日本は仏教関係者を中心に人を送り込んでいます。彼らは日本人であることを隠していましたが、チベット政府から厚遇を受けて長期滞在。元陸軍軍人でダライ・ラマ十三世に気に入られて、軍事顧問に迎えられた矢島保次郎という人もいます。
日清・日露戦争の中間期というチベット周辺地域の重要性が増していた時代で、彼らは日本政府から密命を帯びていたことが明らかになっていますが、長年チベットを脅かしてきた清と、当時チベットが世界最強と思っていたロシア軍を打ち負かした日本の存在は、チベットには頼もしく映ったことでしょう。辛亥革命で中華民国となった中国はその後も度々チベットに武力侵攻しましたが、日本政府は対抗するための武器をモンゴル経由でチベット政府に届けて
います。
だから、その後日中戦争が始まり、日本が世界の中で孤立しても、チベットは友好国としての関係を保ち続け、日本軍のビルマ占領によって蒋介石軍への欧米の武器支援ルートが断たれた連合国がインドを経由して中国に物資を輸送する計画を立て、ルーズベルト大統領がその協力を要請する親書をダライ・ラマ法王に送っても、チベット側は協力をためらったのです。
今の日本人は盛んにグローバル化という言葉を口にしますが、視野が狭いように感じます。戦前の日本の方が、はるかに地球的規模で物事を考え、世界戦略と戦術を持って行動していたと思います。
──国際化も近年もてはやさされる言葉ですが。
ペマ どうも国際化というと、国家を超えたところにあるもの、あるいは文化を混ぜたところにあると思われていますが、そんな日本の感覚は変だと思います。国際化すればするほど、国のアイデンティティーが必要なわけです。それを日本の場合は忘れています。
国際化とは、さまざまな国の文化にも接することができることであり、その文化を理解する力を持つことだと僕は考えます。国際という言葉自体、国家が単位であるのに、日本では国という概念が薄らいできて、誰も、「自は国のおかげでこうして暮らしている」と思っていない。まだまだ日本は素晴らしい国だと思うのですけど、そういう認識をもてないような人々をつくっている教育も問題でしょう。
今、日本を良くする方法があるとすれば、温故知新。五0 年代、六0 年代辺りまでのいろんな苦しいことを乗り越えてきた日本を振り返ることでしょう。そのころの日本は物事の節度を知っていたし、西洋の技術を導入しても、日本の「道」の文化、華道、茶道、あるいは武士道、そういうしなやかな生き方を持っていました。だからこそ世界の中でも日本を模範国家にしたいという見方をされ、マハティール首相をはじめアジアの国々は日本を模範として国づくりを行ったのです。
しかし、日本があまりにも成功してしまったために、日米聞の貿易摩僚などが起こり、いろんな国が日本を脅威に感じるようになりました。日米貿易摩僚は鉄砲の打ち合いはしていないけれど、これも一つの戦争でしょう。それに日本は負けてしまいました。
怖いのは内部からの崩壊
──敗因はどこにあったと。
ペマ 負けたのは日本の中に相手を知ったような気持ちが生じてしまい、外からの攻撃ではなく、中にいる人聞が何か呪われたように「本場アメリカでは…」とか、「中国四千年の歴史は…」のようなことを言い出し、相手に合わせ始めたことです。そんなことを言わなくても、日本は日本でいいと僕は思っています。
僕の故郷には何種類かのキツネがいて、その一つにパラテイルという小型のキツネがいるんです。子供時代の記憶が正しければ、このキツネは動物の柔らかいお尻から入っていき、中を食いちぎって殺します。それと同じように、アメリカのハリウッドとか中国が日本を内部から蝕んでいるように思えます。アメリカのハリウッド映画は日本の社会秩序を壊し、中国は意図的に日本
弱体化を図るためにさまざまな動きをしてます。中に潜伏され、いつのまにか国を崩壊されることは、表立って鉄砲を持って戦争をすること以上に怖いものです。
──その日本の国籍を二〇〇五年に取得されていますね。
ペマ 子供の時からチベット独立を夢見てきましたから悩みましたが、帰化を決心した理由はいくつかあります。
一つは当時、間接的に自民党の方から選挙に出ないかという打診があったこと。その時は日本国籍がなかったし、僕が出ることはでしゃばりになると思ったのですが、小泉さんの政策があまりにも問題を引き起こしました。自民党の本当に経験豊かでまだまだ政治家として国のために尽くせた人々が、郵政の問題で消えていきました。
また、高慢になった資本主義に対して疑問を感じたことも一つです。僕自身は共産主義にいじめられてきたわけで、共産主義に対しては否定的ではあるけれど、だからといって倣慢な弱肉強食の資本主義がいいとは思わない。弱いものを社会からはじき出し、あるいはそういう人たちから搾取するような社会では、共産主義を否定することができなくなりま
す。それを日本国民の立場で訴えたかったのです。
名前のこともありました。以前は日本国籍を取得するには名前を漢字の日本名にする必要がありましたが、今はそれがなくなり、子供の時からの名前を変えなくてよくなったことも理由の一つです。
そして、ダライ・ラマ法王、が「チベットは高度な自治を求め、独立を求めない」と明言されました。僕個人としてはチベット独立を求めていましたが、法王のご意思に従います。ただ、中国の下に住みたいとは思いません。そういう諸々のことが偶然その時期に重なりましたので、僕としては自分なりに心を決めて、日本の国籍を取ることにしました。
そうして第二の祖国となった日本が、チベットのような悲劇に見舞われることは何としても阻止したい。そして日本人のみなさんに僕の逃亡中のような経験をしてほしくないと思っています。でも戦争をしたくなかったら、戦争にならないことを前提にしながらも、いざ起きた時には対応できるような環境をつくることが大事だと僕は思います。
経験豊かな政治家の不在
──最悪の車態を想定することは、事故は起こらないものとされていた原発事故が残した教訓でもありますね。
ペマ そうです。最悪の事態を考えて準備しながら、最善を尽くしていい結果になるようにしないといけないと思います。
原発に関しては、トップのミス、経験がなかったことが大きかったでしょう。総理大臣たちに国を動かすための経験が不足していました。日本は、ポピュリズムに基づいて総理大臣の地位がだんだん軽くなってきたと思います。もっと経験を積んでいる政治家が必要です。僕は大臣が六十、七十歳でも全然おかしくないと思う。彼らの仕事はスポーツをするわけでも、荷物を運ぶわけではないのですから。経験を持っている年配者は知恵袋だと思う。日本人は経験というものをもっと大事に.した方がいい。
かつて存在した政治家育成システムや年長者の知恵を生かす風土が、小泉改革後、崩壊してしまったと。
ペマ そうですね。それ以前は立派な方々が結構おられたのですが、今は多分、財界も政界も、そういうリーダーはいないですね。ロッキード事件の後のリクルート事件、それから佐川急便事件などの影響、そして小泉さんの神か悪魔か何かが宿ったように「ぶち壊す」と言って行ったことの数々。これによって日本の本当にいい人材がたくさん失われてしまったと思います。いまでは大きなビジョンを持って、何よりも天下国家を最優先するようなリーダーは、誰もいなくなってしまいました。
そんな事態を生んだ一つの理由は、たぶん戦後、国を再建するに当たって経済を重視したことに端を発するのではないでしょうか。その時点においてはちゃんとした目標を持ち、同時に時間的な計画性を持ってやっていたはずですが、いつの間にか「経済優先」という政策だけが継続され、その上、一応、共産主義が崩壊。そこで資本主義が非常に倣慢になりました。かつては西洋の国々がアジアの国々、アリカの国々を植民地化しましたけれど、今は一握りの多国籍企業、あるいは大企業が世界を私物化しています。このような何でも経済優先の政策は、結果的には国を滅ぼす方に向かってしまう気がします。
今は何でも経済効果ということが政策を正当化する理由になっていますが、それは一時的には経済効果をもたらすかもしれないけれど、将来的に国にとってどうかということをもっと深く考えるべきでしょう。
例えば今、日本は中国からの圧力で、中国の観光客が沖縄に出入りするための三年有効の数次ビザを出しています。一回の滞在期間も十五日から九十日に延長になりました。名目は震災からの復興のための観光収-入増ということらしいのですが、本当に東北の復興のためだったら、中国よりももっと個人が金持ちのシンガポールとか、マレーシアとか、あるいはインドネシアとかに出していい。インドにだって中国に負けないような金持ちがいると思いますよ。なぜそういう国の人たちに対して同じようなビザを出さないのでしょう。
アジアの国々と連携強化を
──アジア情勢についてはどうみておられますか。
ペマ 六七年にできたASEAN( 東南アジア諸国連合)は当初、南下してきた共産主義を何とかしようということが目的でした。幸いにも加盟国は形の上では経済或長しまして、その後、かつては戦っていた相手であるベトナム、ラオス、カンポジなども加わり、加盟国は十ヵ闘になりました。中国はそのASEAN に中国、韓国、日本を加えた形での「東アジア共同体」というものをつくろうとしていますが、これは日本にとって極めて危険だと思います。
なぜなら韓国、中国は日本に対して複雑な感情を持つ国であり、それ以外の国々にはそれなりの数の華僑の存在があります。中国の力は華僑の力といえるのです。鳩山さんが提唱したように、それにインド、オーストラリアなどを含めるのであれば多少バランスが取れてくるかもしれません。そうでない東アジア共同体の中に日本がのこのこと入っていったら、とんでもないことになるでしょう。
──今後、日本がとるべき行動は。
ペマ 地政学的に考えて、インド、オーストラリア、シンガポール、ベドナムなどとともっと関係を深め、中国をけん制することが大変重要だと思います,そうしないと中国はアジアを経済的にも政治的にもどんどん侵食していくでしょう。日本はアジアにおいて中国以外には大物大使を送っていませんが、インドやインドネシア、マレーシアなどにも実力ある大使を派遣し、関係を強化すべきです。
また留学生を三十万人にしようとか、労働力として二百万人の外国人を入れようとしていますけれど、きちんとしたビジョンと計画性を持って、バランスのとれた入れ方をした方が日本のためです。そうしてアジアの国々と協調する中で日本がリーダーシップを発揮し、世界の重鎮となれるように早急に動くべきだと思います。
アメリカがアジアを重視するということは、逆に言うと軍事強化がアジアにシフトされるということ。そして、中国が軍事強化していけば、周りの国々も同じように軍備せざるをえなくなる。
ーロッパでは確かに冷戦は終わったかもしれませんけど、アジアは冷戦が新たに始まり、あるいは激化しています。その中において、日本は唯一のリーダーではなくてもリーダー格の国として、アメリカ追随ではない独自の外交、あるいは安全保障に対する考え方を示せば、付いてくる国はあると思います。
現段階ではまだまだ日本の生活水準は高いです。でも、上がるのは大変だけど、落ちるときは簡単ですよ。そして、その速度も上がる時よりも早いでしょう。そうならないためにも、川の流れを少し変えるような行動をとることが、今の日本には必要だと思います。
──ありがとううございました。
※『時局』(2012年10月号)より転載。
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約2か月にわたりタイではタクシン元首相支持者たちによってデモ抗議とアジテーションが続けられた。日本のマスコミと外務省はこのニュースをかなり重視しSて報道し、在タイ日本大使館は他の国々に先んじて日本人観光客への帰国勧告など、大使館として迅速に反応したことはそれなりに評価できるものがあった。
特にデモ隊が集中した地域に近いという状況などからすれば当然とも思うが、タイ国政府としてどのように受け止めていたかを考えると多少早とちりと言えなくもない。
しかしマスコミによってバンコク市内の一角に起きたことが、まるでタイ市民が革命でも起こそうとしているとでもいうような印象を与える報道と「本来であればここでタイの国王が事態収拾にあたる筈なのに好例で病気である上、そのようなことを出来ない」とコメントし、更に国王の影響力も低下したような発言をする専門家らしい人の言葉には軽率さと不勉強が感じられた。
タイの国王は確かにご高齢で体調も優れないことは事実であるが、介入できないほど重病でもなければ依然として国民からの信頼や尊敬を受けており、影響力が低下したとは言い難い。
タクシン元首相は1880年代から1950年代にかけて、タイに流れた総人口の14%の華僑たちの中では最も成功した1人であり、農村地帯を中心そのような中国系の人々を意図的に組織し、共和制をちらつかせるような発言は政治的関心度の高いタイ人ならほとんどが知っている事実であり、国王の周辺の人々もその態度には疑念を抱いていたという報道も無いわけではない。
更にタイの司法当局の公式な判決として在任中に首相、特に夫人が不当な利益を得たとして、脱税などの罪に問われていた問題がある。そのため法的制裁を逃れるため、現在政界中を転々とし、財力にものを言わせてある時はイギリスのサッカーチームを買ったり、ある時は特定の国の政府の来賓として顔を現し、この数年間政界復帰を狙って外から指令を出し続けている。
タイは戦前から日本と国交を結んでおり、日本にとって、そして日本の皇室にとっても非常に友好的な国であり、その国の動向については公平かつ慎重な配慮が必要であると言いたい。人数上大規模であるがゆえに、一体誰がそのデモを経済的便宜的に支えているか、その裏にあるものは誰であり、更にその裏にあるものが誰であって、何であるかを報道しないままバンコクの一角で起きていることをわざわざ虫眼鏡で拡大するような報道でなく、どうせなら重箱の隅をつついて真実を追究すれば、今日本で何かと議論の対象になっている外国人参政権の問題や、外国人が3年以上潜伏に成功すれば正式に定住権を与える法律が国会に提出されている問題についても大いに参考になるのではないかと思う。
かつて日本国内の有名大学などで起きた学生運動を見て、世界から日本の若者が共産主義・社会主義に傾斜し、国が転覆しそうだと報道されていたらどうだっただろうか。マスコミ関係は国民に真実を知らせるという重要な役割に関し、もっと慎重に考えるべきではないか。また国民も自分たちに伝えられる現象には更に深い原因があることを前提にものを見る目を養うべきではないかと思う。
※『政界往来』(2010年7月号)より転載
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日本でも水問題の議論を
私が現在、最も懸念しているのは水の問題です。
水は人間の生命そのものです。二〇一〇年は水が世界的問題として取り上げられると見ています。国連は二五年までに一八億人が水不足に直面すると推計。今日、水は世界的に石油資源以上に重要視され国家戦略に位置づけられています。気候変動の最大の原因は人間が過剰に自然を締め付けているからです。
とりわけ中国は、地下にある鉱山資源開発のために水資源の確保・利用に関して植林計画も作らずに、長期にわたり無差別、無計画に植林伐採を行っています。これにより、自然が破壊されています。植林で樹木が育つには数十年かかりますが、伐採は一瞬ですべてをなくし、水は貯まりません。
水の吸い込みができないため、中国は始終、洪水に見舞われています。ところが、甚大な被害を出しているにもかかわらず、その被害について中国政府は何も発表していません。洪水の秘密を隠しているのです。中国では北京はじめ西安など大都市でも水がないのが現実です。
さらに中国政府は遊牧民に対して定住を命令しています。この命令は日本にも影響を与えています。遊牧民が飼っているヤギなどの動物は草を食べているわけですが、水不足によって、その草が育たず、不足していることでヤギは根まで食べています。つまり、中国では草がなくなって移動する場所がなくなって、放牧さえできないからです。草がなくなるとどうなるか。大気汚染の原因である黄砂が発生します。それが季節風によって日本に運ばれ森を枯らす原因にもなっているのです。
かつて中国の首脳が「水不足問題は中国の生死を分かつ」といったように、中国では水問題はかなり深刻なのです。いま中国だけではなくアメリカ、中近東の国々が将来の食料事情を考慮しチベット高原やカンボジアなどの農地を買い漁っています。というのもチベット高原には現在八つの川があり、豊富な量の水源が豊かな農地を生み出しているからです。
ところが、中国は自然の水の流れに手を加え、この川に乾燥地帯への水供給のためダムを造ろうとしています。中国はそのことを認めていません。これらの川はメコン川の上流域にあり源は一緒で、日本政府はこのメコン川流域の開発に協力しています。この開発についても中国はインドと対立しています。
現代はグローバル化、ボーダーレス化することにより情報も瞬時に掴むことができます。地球上において私たち人間は戦争も平和も経済も文化も共有しています。しかも、一つの出来事が連鎖していく時代が来ていることを認識すべきです。
水の問題は二〇世紀のこれまでの科学・物質万能に走りすぎた反動として発生した世界的な問題です。
日本の政治家の間で「水戦争論」について活発な論議が交わされるよう期待しています。
※『ニューリーダー』(平成22年2月号)より転載。
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観光や有機農法に展望
立憲君主制移行で新興活力
この度5日間という短期間ではあったが、バンコク経由でブータン王国へ関係者との打ち合わせのため訪問した。ブータンは現在年間2万8千人の観光客が訪問しているが、この人数を2013年までに10万人に引き上げるという、ややもすれば大胆すぎる目標を掲げている。しかし、同時に自然と文化的環境を保全することも重視している。現在、日本からの観光客はアメリカに続き第2位。できれば観光客全体の2割程度が日本から来てくれれば理想であるとしている。その理由は同じ仏教文化を共有する日本の方が、ブータンの若者に対して良い影響を及ぼすことを期待しているからである。
今回は大手航空会社の系列旅行会社の社長以下4名が同行し、日本の富裕層をターゲットとしてブータン・ツアーを組むための下準備をしたが、一部上場の製薬会社社長も現地視察を行った。今後ブータンとの協力関係について総理大臣以下、各関係大臣や事務当局と合計21回の会合を3日間で消化し、双方十分に満足するものとなった。特に製薬会社の社長は既にブータンの農業及び畜産の発展のために博士課程の留学生2人を日本に招聘しており、今後も具体的に投資するためのホールディング会社の設立や留学生の継続的受け入れを合意し、ブータン側に大変感謝されるなど、両国の今後の関係を更に深める上で建設的役割を果たしたことを確信した。
中国とインドという世界の2大国に挟まれている地政学上の不利な状況をプラスに変え、現在、外交・防衛などあらゆる面においてインドとの強い絆を維持しながら、将来は経済的に発展しつつある中国、インドの両方の富裕層をマーケットにしたいという戦略も着実に進んでいる。ブータンは大量生産よりも有機農法をブランドとし、健康食及び伝統医学(チベット医学)を背景とした薬草に基づく東洋医学を世界に広めたいという夢を持っている。
また、南及び中央アジア周辺諸国の不安定な政治に比べ、ブータンは新しい立憲君主国として民主化を進め、国の安定した政治状況を活かして国際教育のハブを目指し、近々自国の研究機関を大学に格上げすると同時に、海外からの教育機関と提携するシナリオを持って積極的に動いている。自然環境の美しさと豊かな水資源、美味しい空気もこのような教育産業の発達に貢献すると見られている。
私が特に感銘を受けたのは、国家公務員の質の高さである。つい最近皇太子に王位を譲って引退した第4世ジグメ・ワンチュック国王は先代の急死で17歳の若さで王位を継承し、以来様々な工夫を加え特に人材育成に力を入れている。多くの若者に教育の機会を与えた成果として、高官たちは隣のインドをはじめ世界各国の大学に留学し、修士課程や博士課程まで修了している。特に一旦公務員になってそれぞれが自分の道を定めてから、修士課程や博士課程に進学させて来たため、各分野においては世界の近代的教育レベルに達した40代から50代の頼もしい官僚たちが課長、局長、次官クラスで切磋琢磨している姿は、国の将来に期待を持たせる要素になっている。
しかも彼らは国王が発願したGNH(国民総幸福度)の哲学をしっかりと身につけており、将来に対して価値観と明確な目標を共有しているので、エネルギーを無駄なく集中させている。ジグメ・ティンレー首相は、初の議会制民主主義制度のもとで誕生した首相として、自分の政権は民主主義の土台とGNHの哲学に根ざした国作りのしっかりした土台を作ることが最大の任務であり、それに失敗したら民主主義政府そのものに対する国民の信頼を失うことになるので、国王の壮大な理想と国民の現実的生活向上をもって目に見える成果を出さねばと奮闘している。
しかし、残念なことに今年は地震、洪水など災害が続き、予想外の出費とエネルギーを使うことになったが、首相はこれも試練であると言って非常に前向きに受け取られていたことに私はほっとした。また国王は何日も被災地で国民とともに過ごされ、復興活動に自ら陣頭指揮を取られた。国王の「私はこの度の皆さんの悲しみを消す術も無ければ、涙を流すなとも言えない。失った者に対する精神的なものは私たちが自ら克服するしかないが、政府は今回失った家を再建し、この町を以前よりも素晴らしい町にすることを私が保障する」という言葉に対してある村人が、「国王のあの言葉こそが私たちにとって精神的に大きな支えであり、悲しみを癒やす力がある」とマスコミに答えていた。
私はこれを見て、日本の政治家が被災地やホームレスなどを訪れているときなどのパフォーマンスにしか見えない表面的な同情とは根本的に違うと感じた。それと同時に戦後日本の復興に力を注いできた日本の官僚たちや明治維新に貢献した日本の青年志士たちがチベット仏教的に言うと今ブータンに生まれ変わって奮闘しているように見えた。我が国の新政権に対しても国民から寄せられた信頼と与えられたチャンスを良い方向に使ってくれることを心から祈りながら帰国の途についた。
※『世界日報』(2009年11月16日付)より転載
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