幸せって何だろう?

2010年2月23日 (火)

日本再起への祈願(下)

 今、日本では、政治家が立法府や行政府の役割を越えて司法のあり方にまで口出しをし、健全な民主主義のための三権分立の原則を踏みにじるような行為が目立っている。行政のトップが検察と戦うという言葉を使用し、国会議員が特定の政治家擁護のため国会内で検察の活動を妨げ、干渉する姿勢を見せている。かつては政治資金の不正行為追及の先頭に立ち正論を吐いていたマスコミが新政権の提灯持ちのようになり、政治家への当局による調査を権力の濫用であると決めつけるなど、かつての態度を百八十度変えている。厚顔さにも驚くばかりである。

 また以前は、自民党の族議員を育ててフルに活用していた各方面の業界や団体の変身ぶりも気になる。

 常に時の権への追従と利益だけで行動するような政治姿勢が大勢を占めるようでは、二大政党は夢のまた夢で、政策や信念のみならず、日本が何千年来誇りにしてきた義理人情さえも消えつつあるように思い、寂しくなる。

 以上が今の心境であるが、しかし私はまだ日本に期待したい。

 特に、中国が日本を抜いてGDPにおいて世界第二位になるとか、何年後にインドが追い越すなどと、当たり前のように交わされる会話や、「なぜ日本が科学の面において世界一になる必要があるのか、第二位ではだめなのか」という国会議員の質問を聞くと、私個人は情けなく思う。

 一九六五年、私が来日した頃の日本はオリンピックで大きな自信を得て、あらゆる面において日本が世界一になること、日本人自ら義理と人情と恥の文化を誇りにしていた。現に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本が出るまでは、日本人はあらゆる面において向上心、公共心をバネとして前向きな姿勢で生きていた。

 ところが、この本が出た後はその繁栄が永遠に続くものと勘違いをし、日本の学校や公共の場から「努力」とか「忍耐」などという標語が消え、代わりに「ゆとり」とか「個性」「自由」がもてはやされるようになったのである。

 戦後廃墟と化したところから国を世界最高レベルにまで押し上げてきた先輩たちに対する感謝の気持ちとその精神をもう一度取り戻し、国家と国民が明確な目標を持つことだ。

 世界第二位に満足して第三、第四への転落を待つのではなく、第一位を目指せる潜在的力、つまり高度な精神文化を、日本は持っていると確信している。

 もう一度日本国民が自分自身を信じ、国を信じ、ご先祖に感謝し、環境に恵まれた素晴らしい日本国を世界一豊かで安全で安心して暮らせる理想郷として具現化することを祈願したい。

 この連載をご愛読くださった『向上』読者の皆様に心から感謝を申し上げ、皆様のご多幸を祈願するしだいである。 (了)

※『向上』(2010年3月号)より転載。

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日本再起への祈願(上)

 本来であれば我々東洋人は二月前後に正月を祝うので少々ごあいさつが遅くなったが、皆様にとって新年が素晴らしい年であるようまずお祈り申し上げたい。

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 新聞などを見ると、日本は国のトップの権力者たちの政治資金の問題や、新しい政権であることによる混乱などで国内外において不安な一面も覗かせている。しかし私が見る限り、これらはすべて心の問題に関連しているように思う。

 日米関係においても、私は新政権がアメリカとの関係を軽視したり、あるいは日米衷心の基本姿勢を日中中心へと大きくシフトするような国家戦略はないと思う。

 しかし一方、総理大臣がリーダーシップを発揮できず、一政党の幹事長が不当に政治的介入をしたり、大臣たちが場当たり的な発言をしたりすることで、不必要にアメリカなどの信頼を損ねていることも事実である。

 そのためか新内閣は百日を過ぎないうちに支持率が低迷するという異常な現象が起きている。

 それにも関わらず半世紀近く政権を担当してきた自民党も再起への強い意欲を示すような注目すべき活動もせず、人材もいない。

 そのような中で、長い間、日本国の国旗を背負って日本の顔として世界の空を飛び回っていた日本航空(JAL)が、破産申告という屈辱を味わっている。

 これらの現象は、私が日本に来た四十年前にあった、東京オリンピックを境にした前向きなムードと、日本人が誇りとしていた恥の文化・義理人情の文化がいつの間にか希薄になってしまったことに、その要因があるように痛感する。

 私は、日本航空と日本国の状況は大して変わらないように思う。

 日本航空は依然として潜在的力があり、世界の航空会社としてはむしろ黒字路線を走っている。しかし国のフラッグキャリアであるという特別の環境の上にあぐらをかき、世界一の航空会社になる夢を捨ててしまっていた。それまでの権威と国がバックにいることを盾に細部への努力や本来のサービスを軽視し、新しい試みに伴う冒険や危険を恐れてきた姿勢に問題があるように思う。

 日本国にしても、過去二十年間、世界第二位の経済大国であることに甘んじて第一位になる夢を捨て、財源を無視してやたらに国債を発行して、選挙民に迎合するようなばらまき政策に終始し、何らかの努力や工夫を避けてきた姿勢は、日本航空とあまり変わらない。

 ある経済専門家は、日本航空は赤字で破産したのではなく、資金のやりくりが出来なくなったからだと指摘していて、国の経済政策もこれに似ている。

 ただ違いは、国は国債を発行できるのに、日本航空は勝手に偽札を出すわけにいかないことだ。また政治資金の問題にしても、法律上の理屈以前の問題として、国民の模範となるべき政治家たちのモラルの問題、言い換えれば恥の問題であると認識している。 (続く)

※『向上』(2010年3月号)より転載。

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2010年1月29日 (金)

場に慣れる(下)

 日本では季節ごとに多くの人がデパートやファッション雑誌などに誘導され、新しいファッションを追いかけて、新しい服を着る。また最近は不況のせいで少しは変わったものの、学生を含む多くの人々が美味しいものを食べ、パーティなどではたくさんの料理を食べ残しているのを見る。幼い時、正月にしか大量の食料が用意されなかったことを思い出しながら、日本人は年中正月のようだなと思い、その恵まれた環境を嬉しく感じたりもする。

 その日本が羨ましいと思う一方、逆に日本の方々は自分たちが恵まれていることを本当に気づいて感謝しているのだろうかと疑問に思うこともある。このようなことがいつまで続くのであろうかという不安を抱いてしまう。それと同時に日本では、昔のような家長や種族、一族の長を中心とした社会が壊れてきており、そのために縦軸のようなものが失われ、横の関係も緩んできて、少し秩序のない社会になってきているようにも思ったりする。

 日本の皆様はカラオケなどで充分に場慣れしているからかもしれないが、マイクを取って歌を始めると、誰でもプロ並みの才能を発揮する。しかし、若者たちに何かまとまったことを話してもらったり、きとんとした挨拶をしてもらおうとすると、硬直してがちがちになってしまう場面に出くわすことが多い。

 今の日本の社会は、祖父母の役割、父母の役割、先生の役割、社長の役割など、その場その場で本来いくつかの役割と責任を果たさなければならないのに、その場に慣れることが出来ず、結果として社会が不具合になり、色々な摩擦が生じているのではないだろうか。そして自分の責任を他人に押しつけているのではないだろうか。そして自分の責任を他人に押しつけているのではないだろうか。

 マスコミは、政府や政治家が悪いと言い、政治家は官僚が悪いと言い、社会は教育や学校が悪いと言い、学校は親が当たり前の躾をしてないと嘆いている。私は、それぞれが他人の領域に干渉するだけではなく、もう少し自分自身の役割、つまり場を大切にしなければならないと思う。

 私たちは本来自分よりも優れた人を見て、その人の生き方や考え方を真似し、色々な場において自らをそこに当てはめるように努力して自分を磨いてきたのではないだろうか。

 私はスポーツ音痴だがあらゆるスポーツにはポジション(場)というものがあり、それをきちんと意識し守っているように、二〇一〇年は私たち皆がそれぞれの様々な状況・環境における場をしっかり認識し、守ることが大切ではないかと思う。また若者にもそのような場に慣れるための様々なシミュレーションやイメージトレーニングをさせるべきだと考える。 (了)

※『向上』(2010年2月号)より転載。

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2010年1月28日 (木)

場に慣れる(上)

  この文章を手にする皆様は、正月準備で多忙な方が多いであろうが、世界の正月はまちまちで、チベット、モンゴル、ブータンなどチベット文化圏には、独自の暦がある。

168_3  西暦の正月あるいは中国などの旧正月とも異なり、その年その年の縁起の悪い月や日がカットされ、また逆に良い日が加算されるため、一年が一カ月増えたり減ったりする。そのため、大体西暦の一月後半から三月前後で三日から五日くらいの正月を迎える。

 昔は正月と共に一歳年を増やしていたので、正月は皆の誕生日でもあった。また正月の一日目は各家庭で過ごし、家族の長老をはじめ家族内の序列が確認され、下の子どもたちから長老、家長、次期家長の順に挨拶をする。二日目は同様に親戚の者が本家への挨拶をし、親戚内の人間関係が確認される。三日目は村や町の人々が土地の神様への感謝を表すため、近くの聖なる丘や山へ出向き、護摩を焚いて神々に感謝すると共に、酒を酌み交わし、博打を打ち、場合によってはテントを張って一晩か二晩踊り、騒ぎ楽しむ。

 この場合でも、午前中は社会の序列や秩序を厳格に守るが、一旦酒と共に宴会が始まると無礼講となり、皆が子どものように騒ぎ、楽しむ。

 物心ついた頃の私にとって、この正月の三日間は、緊張の日々であると共に少し自分が偉く感じた日々でもあった。祖国を離れる前に経験した二回ほどの正月は、祖父が既に他界していたため、父親の次の跡継ぎとして席順が二位であり、母親や兄弟からも礼を尽くされた。もっともらしく毅然として座り、家族、親族、土地の人々から挨拶を受けるのが、大変気分の良いものだった。それに丁寧に答えるという緊張感もあった。やがて飽きて退屈になり気が緩むと、爺やに叱られたり褒められたりしたが、その時耳元で囁かれたのは「あなたはギャリ家の跡継ぎだから、こういうことに慣れないとその役目を果たせないぞ」という脅かしだった。

 それから二十年くらい経って、私がダライ・ラマ法王の代表になったとき、私に親切にしてくれた日本の恩人が、私を一週間ホテルニューオータニに宿泊させてくださった。その時、恩人は「君は法王の代表として色々な場に慣れなければならない」と話してくださった。しかし私は、もしかしたら私を試しているのではないかと思い、一週間ほとんど決まったレストランで決まった定職を食べて、出来るだけお金を無駄にせず、ただひたすら建物の中をうろうろと見回って歩き、売店で本を立ち読みしたり、ラウンジで何時間も粘ってみたりして過ごした。

 数日後、その方のところにご挨拶に伺ったところ、恩人はホテルからの請求書を前に、がっかりしたような表情をして、「僕は君に、法王の代表として充分に振る舞えるよう場慣れして欲しくてせっかく機会を作ったのに、これでは台なしではないか。君は節約したつもりかもしれないが、逆にこれは無駄になってしまった」と言われた。最後に「まあいずれまたもう一回ちゃんと勉強する機会を作るから」と言われたが、残念ながら同じような形でのチャンスは二度となかった。しかしご自分と一緒に色々な要人との会食に、特に日本駐在の大使との会食や懇談の時には同席させて下さり、その後の私の人生にとって大変プラスになった。 (続く)

※『向上』(2010年2月号)より転載。

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2009年12月27日 (日)

雪蓮興亜塾(下)

 自由と平等は双生児のように常に一緒に語られてきた。しかしこの平等もただ単に全てのものが並列、あるいは均等であるということではなく、性別や皮膚の色、身分或いは身体的障害などに対して差別をしたり、様々なチャンスを奪ったりすることは良しとされない。平等だからといって、例えば足の悪い人が一人いるから全員の足を悪くさせるという具合に、権力や力によって押しつけられるものではなく、不利不足のものを補うように思いやり、敬愛の精神のもとに平等が実現されるべきである。

 そのような意味では本来ボランティアも自らの時間や労力、富の一部を自分より恵まれていないものに対して謙虚な気持ちで補う国家や政府の予算を取って行うものでもないと考えている。自分の得ている物質的精神的幸せは何かに依存して生じたものである以上、その一部を還元することが極めて必要である。それは自分の時間やものを捧げるだけではなく、例えば不安そうな人に対して、安心感を得られるように微笑むことなども立派な奉仕であることを忘れてはならない。

 そして、日本の教育が知識の詰め込みに重点が置かれていて、良識を養うような教育が欠如しているため、政治家も、経済人も、一般市民も極めて、我が儘で自己中心的な社会に傾斜しつつある。物事の判断基準として良識に基づく行動を重んじること、現象ばかり追わず、百年先のことや、あらゆる行為の副産物への配慮も必要である。故に、公の幸せを重んずる行動が必要であると強調したい。

 私は基本的に人間のみならず、あらゆる生き物は仏性即ち愛の種を持っているという前提に立っている。人間性善説を採るが故にお互いに敬愛し、信頼しあうべきであり、同時にその関係がいかなる結果を生んだにしても、その責任は自らがとり、常に自分自身を見つめるという習慣を身につけることが大切である。

 そのような意味で、私は「努力」という言葉よりも「精進」という言葉を好んで使っている。私のイメージとして「努力」はがむしゃらに頑張っているだけに見えるのに対し、「精進」は考え反省し、そして向上するというプロセスの中の努力であるように感じる。従って私は、常日頃から学生たちに自助精神を提言している。格言にも「天は自ら助くるものを助く」とあるように、最終的に自分を助けられるのは自分自身の意識である。だがそれは過剰に自己を評価するということではない。

 この世に何一つ単独で成り立つものはなく、あらゆるものは何かと依存して成り立っており、他の協力なしに成し遂げられるものは何もない。しかし自分の方から協力せずに他の協力を頼るばかりでは継続的な協力は得られない。従って互いに協力することによって、個人も社会も国家も共栄して行く。

 そして最後に夢、ビジョンを持たなければ先に進む意欲も目的も失ってしまう。私の弟子たちには大きな志を常に抱いて欲しいと思っている。今の日本の政治家達もこの国家的ビジョンが今ひとつ明確でないように思うので、何よりも新政権はこれから先に対して日本をどうしたいのか、世界がどうあるべきかというグランドビジョンを示してくれるよう望んでいる。  (了)

※『向上』(2011年1月号)より転載。

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2009年12月26日 (土)

雪蓮興亜塾(上)

 私は大学の専任教員になって来春で二十年になる。お陰様でゼミ生や担当した大学院生も二百名を越え、聴講生は数千人にな上るだろう。歳も五十代後半になり還暦祝いの話なども出始めている。その中で留学生を中心に、大学を卒業した後も私の門下生として自分たちのアイデンティティーを保つため、弟子たちの会を作っては?という話が雑談中に上がった。

118_1  皆で相談した結果、会の名前を「雪蓮興亜塾」にすることにした。中国人留学生が辞書を引いてくれたところ、この「雪蓮花」という花はチベット、ヒマラヤ地域からウィグル中央アジアまで広がって厳しい環境に中に逞しく咲いている花であるらしい。

 実は私の名前の「ペマ」というのもチベット語で「蓮」を意味し、成田山新勝寺の貫首様からいただいた日本名も「照蓮」なので、私の弟子たちの会の名前にしてはとても相応しいと思った。しかし中央アジアにとどまらずアジア全体に貢献できる人材の輩出を願い、そしてアジアの伝統文化の興隆をも祈願し、「興亜」という二文字を加えることによって「雪蓮興亜塾」に落ち着いた。

 次に塾を名乗る以上、私の基本的なものの考え方を少しでも弟子たちが継承し、共有しなければ弟子とはいえないと考え、そのため簡潔に私の考えをまとめることになった。それは以下の通りだ。

──まず何よりも神、大自然を畏れ敬うことが大切であり、どんなに科学や医術が進歩しても私たちの寿命や夢は私たちの願望だけではどうにもならない。世界最強の国家でも地震、洪水などの自然災害には勝てない。従って人間は自らの限界を知り、大自然、神仏に感謝する気持ちを大切にすることが極めて重要であると思う。

 次に自然、国、社会、先祖、親、師の恩をかみしめ、その恩を忘れずに感謝すること。私たちは生まれてきた時からこの世を去るまで結局は誰かの世話になり、また誰かの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない。その最も具体的なものは、生まれてから愛情を注ぎ、下の世話までしてくれた両親への恩であり、両親に対する親孝行は自分たちの子孫へ継承されるべき基本的行為の一つである。

 次に自由の尊さについて。私の個人的な考えとして、自由とは決して無秩序に我が儘に生きることではなく、自分の考えや行動に対し自らを律しながら他に迷惑を掛けないという原則の上において、言論・思想・信仰・結社の自由を堪能する。その自由は創造性に満ちた建設的なものであって、それに対して国家や権力からの妨害を受けないことである。つまり自由には自立と義務が伴うという考えをしっかり持つべきである。 (続く)

※『向上』(2011年1月号)より転載。

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2009年12月 1日 (火)

生と死 ─ 中川昭一先生を偲ぶ ─ (下)

 私はここで中川昭一先生と表記しているのは、ただ単に国会議員であるからというよりも、私より少し年下であっても極めて存在感が大きく、政治家らしさを醸しだす雰囲気を持っていたからである。

 以前、ご縁があって国民新党から参院選に立候補したとき、それまでお世話になった自民党の方々や平沼赳夫先生ほか皆様にご挨拶に伺った。その時、中川先生は「なんで自民党じゃないの?」と言って、すぐ「まあ亀井静香先生も我々の仲間だし、目的も考え方も同じだから、頑張って下さい」と理解と励ましを下さった。

 参議院選の投票日前日の土曜日、有楽町マリオン前で自民党と国民新党の宣伝カーがかち合い、双方がボリュームを上げるような事態になった。中川先生は自民党の宣伝カーで高見候補を応援する演説を行い、こちらは亀井静香代表代行を始め、総勢で国民新党をアピールしていた。そして司会の糸川代議士から私に、大きい声で「長く話せ」という候補者としてはありがたい機会を得た。私はマイクを取り、「今日は私が尊敬する中川先生も向こう側におられます。中川先生ごめんなさい」と言ってから小泉内閣を厳しく批判した。会場の人数は郵政関係者の働きもありこちらが有利で、拍手も声援も国民新党の方が圧倒的であったが、結果は予想をはるかに下回る得票数で私は落選した。高見候補も当選していれば大臣間違いなしの風評の中、落選した。私はその日のうちに数寄屋橋交差点で高見候補と握手をしたが、選挙戦とは言え高見候補のにこやかな表情には救われた。中川先生には、後日お目に掛かった。正直に言って私は選挙戦で無我夢中であったとは言えあの時の態度を気にしていたのだが、先生はさすがに何事もなかったかのように自然体で接して下さった。

 中川昭一先生の葬儀には、歴代の総理、先生と親子二代に亙って親交のあった平沼赳夫先生、島村宜伸先生、中山正暉元代議士とそのご子息、共産党を含む各政党の幹部ほか、報道機関の発表では三千とも五千とも言われる弔問客が駆けつけていた。

 安倍晋三元首相を始め、谷垣禎一自民党総裁、伊藤文明元幹事長、先生の愛妻がそれぞれ追悼の言葉を述べられ、中川先生の業績を讃えるとともに政治家としての勇気と行動力、そして何よりも真の人道主義者であり、憂国の士であって、この国を誰よりも心配していたことを思い出させた。

 平成十五年、私は拙著の『悪の戦争論』を中川先生に献上し、ネパールの例などを挙げて水の問題について切実に訴えたことがある。葬儀当日の奥様のご挨拶の中で、その後の先生の著作などで水の問題に真剣に取り組んでおられたことが明らかにされた。私はとても嬉しかった。

 だが、もうその中川先生はいない。私の前に座っておられた安倍晋三先生は涙ぐんでいた。私も涙が止まらなかった。国が衰退する時、国に必要な人々も神に召されてしまうと聞く。まさに日本が一番必要とするときに、中川先生はこの世を突然去ってしまった。私はなんと不運なのかと思った。

 人間生きている時に出来ること、やれることがどんなに大切かを教えられた気がする。そして非仏教的ではあるが、中川先生には天国からこの国と世界を守り、導いてほしいという気持ちである。しかし仏教徒としては極楽浄土へ浄土して頂き苦しみとその原因に満ちたこの世とは離れて頂きたいとも思う。

 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 (了)

※  『向上』(2009年12月号より転載)

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2009年11月30日 (月)

生と死 ─ 中川昭一先生を偲ぶ ─  (上)

 私はこの歳まで当然のことながら多くの大切な方々の死と直面してきたが、今回ほど衝撃的な死はなかった。十月四日、講演先の愛知県で事務所から電話を受けたとき、一瞬言葉もないくらいショックを受けた。人間誰しも生まれた以上は死ぬ。しかも死が突然やってくることは、頭では理解していたし、そのような体験もないわけではない。しかし今回の場合は違った。私と同年で一カ月少し年下の中川先生には、これからの日本とアジアのために大きく活躍して頂きたいと思いを寄せていたからである。

195_1_2  正直に言って私は、先生が今回落選したとき、これは先生が大きくなる良いチャンスであり、少し時間を掛けて私の日本、アジア、世界に対する考えや夢を語る好機であると思っていた。

 中川先生と初めてお会いしたのは、先生の御父君の中川一郎先生のお通夜の時であった。世田谷のお宅で目を真っ赤にした三十歳そこそこの青年・中川昭一氏の姿が脳裏から離れず、悲しみを深く感じた。やがて国会議員になってからはチベット問題などでしばしば時間をいただき、その折々、チベット問題以外の日本の状況などについても意見を述べる機会を得た。先生はどんなに多忙でも、私との関係というよりチベットのための会合に顔を出してくださり、激励してくださった。

 先に述べたように、先生は何の得にもならない、むしろ損をするようなチベット問題を始め、数々のやるべきことを躊躇せずに実行する正義感と勇気に溢れた方であった。身の程知らずの私は先生に対し、「先生は首相などを目指すよりも、首相をあごで使える真の大物政治家になるべきだ」と愚かなことを誠意を持って申し上げたことがある。

 その後先生の著書を読み、先生が政治家になった動機そのものが御父君の偉業を継承しそれを達成したい、つまり中川一郎先生が総理大臣に挑戦し、敗れたまま亡くなったことを強く意識していることに気がついた。そのことで私は自分の発言を撤回し、頑張って日本の総理を目指して欲しいと申し上げようと思っていた。

 先生がローマから、帰国して財務大臣を辞められた後、私はダライ・ラマ法王の甥のトンドゥップ殿下と先生を表敬し激励しようと面会を申し込んだ。先生は快く応じてくださり、おまけに頭を下げ「この度は皆様に色々ご迷惑をお掛けしました」とおっしゃった時は胸がいっぱいになり、涙がこぼれ落ちそうになったので、結局私は、以前に述べた言葉を撤回する言葉も出なかった。その時、先生は思った以上に元気であったが、何かいつものパワーというかエネルギーが感じられず、帰途私はトンドゥップ殿下に、先生は今回のヨーロッパでの出来事を相当重く受け止められており、いつもの気迫が感じられなかったと申し上げた。  (続く)

※  『向上』(2009年12月号より転載)

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2009年11月 3日 (火)

民意と民主主義(下)

 鳩山氏、小沢氏を始め多くの民主党議員は、かつて自民党に籍を置き、自民党の多くの大物たちから手ほどきを受けているはずであるので、自民党の良き所を応用していただきたい。国民からの大きな期待を含めたチャンスをぜひ活かして期待に応えて欲しい。

 鳩山氏が党首になってからの人事は見事だと感心していたが、メディアなどによると、既に小沢氏が横やりを入れるなど、強引な干渉が見え隠れしている。小沢氏自身の党内における力、ならびに党の選挙に対する貢献は多大であろうが、国民はあくまでも鳩山氏を党首とする政権に対して「イエス」を示したのであって、小沢氏が党首の顔で戦ったのではないことを忘れないで欲しい。小沢氏の政治手腕を疑う人はいないが、同時に細川、羽田、村山内閣を潰し、小渕首相に対しても死の原因にもなったと言える政治的・精神的プレッシャーなどから破壊者としてのイメージが強いことを自覚し、その汚名を返上するよう期待する。

 いずれにしても、民主党は長年の念願が叶えられて、日本の二大政党の今後の成熟を表すバロメーターにもなると思うので。心より成功を祈ると共に、注意深く監視していきたいと考える。例えば百人という大勢を政府に送り込む場合、国会議員の手当をはじめとする多額の給料の出所はどうするのかなど疑問は残る。

 なお自民党に関して、昭和四十年以来四十四年間、私は日本の繁栄と安定の恩恵を受けてきた者の一人として、心よりお疲れ様と感謝の意を申し上げたい。

 私は小泉純一郎氏のわがまま強権政治の六年間に精一杯建設的批判をしてきたつもりである。特に創造と維持のない破壊に対し注意を促してきた。もちろん小泉政権の全てを否定するつもりはないし、特に彼の外交センスは評価できるものもあった。彼の長期政権は運と決断力とパフォーマンス力の他に、日本国民が潜在的に持っている民族の独立精神の現れとしての靖国神社参拝への支持と評価があったように思う。

 私は自民党の選挙での敗北よりも、敗北後の対応に失望している。五十四年間も政権を担当していれば当然様々な問題が生じ、国民からも飽きがくるのは仕方がないとしても、中堅若手と称する山本一太議員などの、口で反省と言っても自分を見つめている様子のない態度には呆れてしまった。二十人の同胞を説得できない人が、どのようにして一億二千万人を束ねていけるのだろうか。もちろん今回の敗北は自民党自身が何よりも反省し、そして再生しなければならない。しかし反省の第一は、自民党が結党時の大義であった自主憲法の制定と自主独立という基本理念を失ったことであろう。これは全ての政党に言えることであるかもしれないが、基本理念を明確に持たない政党はコンパスを持たずに砂漠に行くようなものである。

 従って、古きをたずねて新しきを知るという精神で新たに出発すれば、まだ自民党に未来は残っていると思う。十数年かかって二大政党がやっとここで切磋琢磨出来る環境が整ったのである。従って今回落選した多くの自民党の議員は、英気を養い充分に充電して再出発に臨んで欲しい。健全な民主制度が定着するためには常にある程度の緊張感を保持することが望ましい。国民新党など諸党のバランサーとしての役割も必要不可欠であり、大いに期待している。 (了)

※『向上』(2009年11月号)より転載。

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2009年11月 2日 (月)

民意と民主主義(上)

 民主主義は民意が最も反映される政治システムだとされている。そのことを顕著に表したのが今回の総選挙であったような気がする。何故ならば国民一人一人が自らの意志で投票所まで行き、一票を投じた結果が直接政治に反映し、自分たちの生活そのものに跳ね返ってくるからである。

146_1  今回はまさに民主党と自民党が逆転した言える。解散前の民主党の議席は百十五で、解散後は三百八、自民党は解散前が三百で解散後は百十九である。民主主義社会において国民の意思が表れたと素直に認めるべきであろう。

 従って結果そのものに関しては敗者の自民党も潔く敗北を認めているし、私もそれにいちゃもんをつける気は全くない。客観的にプロセスと結果を見ている限り、これはまさに天の声ではなく、人々の声である。

 ただ私の見方として、これは三つの要因が混在していることも忘れてはならないと思う。一つは国民の自民党に対する失望と怒りの声であり、もう一つはマスコミによる世論操作の影響が大きいということである。残りの一つは小泉純一郎政権のめちゃくちゃな政策が生み出した様々な矛盾による悪影響が結果として表れ、小泉純一郎氏と竹中チームが公言したとおり、自民党が破壊されたのである。もちろんこれに加え、小さな要因として麻生太郎氏のタイミングを読む決断力のなさも加えなければならない。

 小泉純一郎政権のめちゃくちゃな政策が貧富の差を広げ、日本が戦後半世紀以上にわたり試行錯誤して作り上げたさまざまな制度を混乱させた結果、方向性を失い、それをマスコミがあおることによって国民の間に不安と不満が増し、現状打破、つまり「チェンジ」を求めるようになったのだと思う。

 そのため多くの国民は、民主党の政策や政治家が自民党の政策あるいは人物よりも優れているというより、とにかく現状打破への思いから民主党に投票したということが、選挙後の世論調査などでも現れている。

 従って私が民主党に期待することは、かつて自民党が持っていた思いやりの政治、社会正義を重視した「私」よりも「公」を重んずる政策を実現して欲しいということだ。 (続く)

※『向上』(2009年11月号)より転載。民意と

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