チベット問題とは何か

2016年8月15日 (月)

【インタビュー】日本は中国のチベット弾圧を直視せよ


ヒステリックに「戦争法案」を叫び平和を貪り続ける日本人こそ中国の植民地とされたチべツ卜民族の悲哀を理解すべきだ

─最近のチベットの状況は?

監視強化の中続く焼身抗議

ぺマ・ギャルポ(以下PG) 今年はチベット自治区ができてちょぅど50年だ。それで中国の警戒が強くなっている。軍の出入りが激しく、監視も強化され ている。しかし民衆は負けていない。焼身抗議は名前や年齢などがわかる人たちだけでも150人ほどになった。若い世代の人たちが街中で独立万歳を叫ぶ運動も見られる。
 中国当局による弾圧は相変わらず激しい。反政府的な人を見つけると逮捕・拘束され、裁判も行われない。最近では高僧のテンジン・デレク・リンポチェ氏(65歳)が7月12日に獄死した。チべッ卜人であれば知らない人はいないほどの方だった。しかし家族には遺体も返してくれない。よほどひどい拷問の痕があるのではないだろぅか。
 中国はチベット支配のために アメとムチを使い分ける。そのや り方は巧妙で、チベット人の中にも羽振りのよい人がいる。経済的に懐柔し、内部分裂を図っているのだ。
 チベット鉄道(青蔵鉄道)が2006年にできてから、チベットへの観光客が年間400万人に増えた。中国政府による奨励の効果もある。当初はチベット人も鉄道の開通を喜んだ。チベットは標高が高く (平均海抜3500m)、 新鮮な野菜などなかなか手に入らない。野菜をはじめ、多くの物資が増えて生活が豊かになるのではないかと考えたからだ。しかし実際は、チベット人の生活が豊かになることはなかった。儲かったのは中国人が経営するホテルだけ。観光客相手の売春まで中国人が取り仕切っている。
 実はチベット鉄道が開通されたのは、チベットに眠る豊富な地下資源を輪送するためだった。チベット開発は、2000年の全人 代(全国人民代表大会)で「西部大開発」が正式決定されてから本格的に始まった。ただし開発がチベット人のためになることは全 くない。採掘する権利はチべッ卜人には与えられず、中国人だけが行つている。「白昼堂々の盜み」とも言われている。炭鉱で慟くチベット人の事故も多い。
 観光客の増加、開発、資源の採掘によりチベットに漢民族がどんどん増えている。中国の対チべッ卜政策は、まず植民地化、そしてチベット文化を破壊して中国人に同化し、 最終的にはすベて中国人とする浄化政策へと進む。このやり方は全く変わっていない。

独立を分離運動として弾圧

─ダライ・ラマ法王の写真所持すら禁止されるなど迫害が一層厳しくなつていると聞く。

PG インドに亡命したダライ・ラマ法王によるチべッ卜亡命政府と、中国との対話は2012年以降完全に途絶えてしまった。法王は現在、チべッ卜の独立を中国政府に求めていない。中国が「独立」といぅ言葉さえ使わなければ、あらゆる対話に応じると言ったからだ。それで法王はチベット自治区を中国の一部と認め、「高度な自治」を要求することにした。しかし中国政府は 現在、その法王との対話に応じなくなった。対話のハ—ドルをどんどん上げているのだ。
 中国政府は法王の海外での活動を分離運動と決めつけ、批判している。海外の要人との謁見も極力実現できないように阻止して いる。この妨害活動に初めて屈したのが英国だった。1989年にノーベル平和賞を受賞した当時は世界中の首脳と会えたが、今は ほとんど会えていない。現在のローマ法王とも会っていない。
 ダライ・ラマ法王は1995年、6歳の少年をパンチェン・ラマ(ダライ・ラマに次ぐ高位の化身ラマ)の転生者として認めたが、 中国政府はこの少年を拘束し (当時7歳)、別の6歳の少年をパンチェン・ラマ11世として無理やり即位させた。7歳の少年にいったい何の罪があるといぅのか。

——習政権になってからのチベット政策は?

チベット人共産党員逮捕も

PG 8月25日、習近平国家主席はチべッ卜自治区50周年にあたり、北京で「分離主義を許さない」と演説した。これは明らかにダライ・ラマ法王に向けた言葉だ。習氏はさらに、「政府と国民はチベットの統一を監視すベ きだ」と強調した。
 昨年からは、チベット人の共産党員幹部らまでもが除名・逮捕されるようになった。最初の逮捕者は17人で、亡命政府とつながっているという罪状だった。その後もチベット人共産党幹部の逮捕が続いている。ニユースで報道されていない人も含めると数百人に上るのではないか。最近 私は、中国政府との対話による平和的な解決は無理なのではないかと強く思っている。

——安倍晋三首相の戦後70年談話が発表され、中国の報道官が非難したが。

PG 中国は総理の70年安倍談話に対し、「軍国主義の侵略の歴史を切断すべきだ」と非難した。しかし中国が日本を非難するいずれの内容も、実は中国がチベットやウイグルなどに対して今行っていることだ。世界はこのことをよく理解するべきだ。21世紀に入り、いまだに植民地支配を続けている国は世界の中で中国以外にない。人権弾圧ならあるだろぅが、植民地支配はない。

植民地支配国と戦った日本

 日本はアジアの国を軍国主義によって支配したといぅが、実際にアジアで日本と戦った国はない。当時のアジアはほとんどが欧米の植民地だった。
 例えば日本がフイリピンで戦ったのは、当時のフイリピンを植民地支配していたアメリカ軍だった。インドネシアにおいてはオ ランダ軍と戦ったし、ミャンマ— ではイギリス軍と戦った。これらの地域では真の愛国者は日本と共に植民地支配国と戦った。
この事実は日本でもあまり知られていない。

——中国は今後、どういう方向に進むのか。

独立運動を離間戦術で阻止

PG 株の暴落など、経済的な危機を煽るような報道が多い。しかし中国は大国であり、そう簡単に崩壊することはないだろう。むしろ1980年代に制定された軍の近代化計画に基づき、着実に軍事覇権を拡大している。そこを注意すべきである。
 中国の戦略を見るときにニつの点を見落としてはならない。
 第一に、中国は毛沢東以来の世界制覇の野望を持ち続けているということだ。たとえ一時的に友好的な態度をとったとしても、その本質は全く変わっていない。
 習氏は就任してから「大中華民族の夢」という言葉を繰り返し使っている。これは中国が歴史的に最も広い領土をもっていた時代を取り戻すという意味だ。
 チベット、ウイグルもしかり、ベトナム、台湾、そして尖閣諸島や沖縄までもこの範囲に組み込まれている。中国の軍事、経 済、政治はそれぞれ独立して存在しているのではない。この目的のために用いられるあらゆる手段の一つに過ぎない。
 第二には、中国の伝統的な兵法の一つである「離間」である。離間とは、仲間を仲たがいさせる心理戦を仕掛けることであり、 敵を内部から崩し、漁夫の利を得ようとする作戦である。この作戦にはさほど金もかからないし、軍を出す必要もない。しかし相手を弱体化させるには効果が高い。小説の『三国志」にもたびたび登場する歴史的な作戦で、中国はこれを最大限利用している。

中国の「戦争」は始まっている

 チベットやウイグル、モンゴルの独立運動も、この離間を使って弱体化されている。チベット人同士を仲違いさせるために、チベットを支援する外国人までも巧みに使う。この結果、内部が分裂してしまう。
 具体的には、最近はインターネットで内部の悪い噂を流すことが多い。昔は口伝え、チラシなどを使ったが、最近ではネッ卜を駆使している。中国のネッ卜戦略はかなりの規模だ。中国当局を批判したり、民主主義や人権、民族の自決を訴えるものはすぐに削除される。この組織力が独立運動の内部分裂のためにも使われている。
 日本に対しては、いわゆる従軍慰安婦問題や南京大虐殺などをでっちあげ、国際社会から孤立するよう仕向けている。アジア諸国では、日本がアジアのリーダーとなることが期待しているが、それに水を差しているのだ。「日本の安倍総理は極右である」「軍国主義化するつもりだ」と宣伝している。明らかに心理戦である。
 中国による戦争はすでに始まっていると言えるのではないか。直接ミサイルが飛んできたわけではないが(ミサイルをいつでも飛ばせる状態にはあるが)、軍事力は実効支配の最終手段として最後のほんの少しの間だけ使えばよい。中国では戦争の大半は心理戦だ。そう考えれば、中国との戦争はすでに始まっている。このことに対する日本の認識は極めて薄い。

世界の変化を解さぬ日本人

─日本人は平和ボケしているとよく言われる。

PG 私はこれまで60数年生きてきたが、そのうち50年間は中国の弾圧と戦ってきた。その私から言わせれば、日本人は世界が変化しているということをほ んど認識できていない。これはとても残念なことだ。
 先日、安倍総理に対して日本の僧侶が「戦争するな」と批判する広告を出した。日本さえ安保法制を作らなければ戦争は起きな いというのだ。戦争は、戦争をしてくる相手がいるからこそ起きる。日本の周辺にはその相手が実際にいるといぅことを忘れている。日本はこれまで長い間平和だったので、幻想の世界にいるのではないか。「戦争をするな」と言いながら、その運動が戦争を引き起こすことが見えていない。
 日本国憲法は1947年に施行された。その当時、アジアにはいくつの国があったのか。その後に独立した国がかなり多い。
 当時の中国にはチベットもウィグルも入っていなかった。領土としては現在の4割程度でしかなかった。中国が現在の範囲になったのは1950年以降のことだ。日本は憲法が制定されて以降、戦争もなく、ほとんど変化はなかったかもしれないが、 世界は大きく変わった。アジアも変わった。日本人はこのことを知るべきだ。

衆院憲法調査会で意見陳述

——ぺマ先生は2004年、衆院憲法調査会の公聴会で意見陳述を行った。

PG 日本には憲法9条があるから平和を維持できたという意見がある。これは大きな勘違いだ。憲法ができた当時、日本の周辺には戦争を仕掛けようという野望を持った国は存在しなかった。ところが1949年に中国が建国し、状況は変わった。ただし当時の中国は、国内の状況を安定させるので精一杯だった。文化大革命では多くの中国人が餓死した。だから戦争をして領土を拡張しようという余裕も能力もなかった。しかしその中国が今や世界第2位の経済大国となった。アメリカの軍事力に対しても、対等ではないにしても空白を作れば入り込むほどの実力をもつようになった。米軍が撤退した南シナ海では、フィリピンやべ卜ナムの領域を実効支配してしまっている。
 日本の周辺には、日本に対して決して友好的ではなく、100万人以上の軍隊を持ち、かつ民主主義の制度も確立していない国が存在する。核兵器もある。日本人が憲法9条を毎日拝んでも、こうした事実は変わらない。

——日本に対してメッセ—ジがあればお願いします。

PG 私は日本に来て、自由がいかに貴重かということを肌身にしみて実感した。しかし日本の中に、 自由社会=経済的自由とだけ考える人がいる。しかし無秩序の自由、傲慢な自由になれば、必ず社会に副作用が生まれる。

共産主義のゾンビ性に注意

 共産主義の歴史を見ると、冷戦で一度は崩壊したように見えたが、中国が防波堤となり、共産主義は残ってしまった。本当は当時とどめを刺しておくべきだった。民主世界が安心したり、 傲慢になったりすると、共産主義がゾンビのように再びよみがえる可能性がある。
 それを考えると、日本でも注意が必要だ。これ以上経済的な格差が広がると、マルクス・レーニン主義的な思想に共鳴する人が出てくるかもしれない。家庭の経済的事情で学校に満足に通えない人もいる。早く手を打たないと、日本が共産化されてしまうのではないか。彼らはかって「革命」を唱えたが’、今は 「人権」を叫んでいる。
 17世紀から20世紀まで、植民地支配は「世界の常識」だった。植民地をもった国は自ら帝国を名乗った。今では誰も「帝国」 を肯定する人はいない。
 しかし、似たようなことが経済の世界では起こっている。「グローバリゼーション」という言葉があるが、経済界におけるグロ—バリゼーションは大抵、弱者に対して残酷だ。
 そのおかげで日本の伝統的な家庭や地域のつながりが失われた側面もある。これは重要な問題だ。日本の良き伝統・文化を失わず、真のアジアのリーダーとなるためにも、日本はもっと良識的な動きを模索する必要があるのではないか。

※『世界思想』(2015年10月号)に掲載

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2016年6月25日 (土)

ダライ・ラマ法王の死を待つ中国

チベットの国璽を偽造

 九月八日、チベットで、自治区成立五十周年を記念する大規模な祝賀会が開催されました。祝賀会はラサ市のボタラ宮広場で行われ、人民政治協商会議主席・兪正声氏をはじめ、 劉延東副首相、軍総政治部主任•張 陽氏など政府、軍の関係者、六十五人が出席。ラサ市民約ニ万人も参加しました。
 祝賀会では中央政府から次のような祝電が届き、発表されました。
「チベット自治区成立は、チベットの歴史に新しい一べージを開いた」
また一九六五年以降、チベット経済が二十倍も成長していることに触 れ、それは政治の安定、各民族が団 結、中央政府と協力した結果だと明 言。私は、そのデタラメな内容の祝電に怒りを禁じえませんでした。
 たしかに、自治区成立はチベットにとつて歴史的な一ぺージには間違いない。しかし、それはチベット人にとって“屈辱の歴史の始まり”でしかありません。
  一九五〇年、中国はチベットに人 民解放軍を送って侵攻、一九五一年 には中国の一部になるよう求める「十七条協定」を押し付けてきました。こ れは、国際的に見れば、“侵略”以外の 何物でもない。チベットは武力で脅 され、無理やりサインさせられたのです。
  しかもその時、中国は調印に用いるチベットの国璽を偽造しました。チベットの代表は交渉の際に国璽を 持っていましたが、協定の内容が酷いので「国璽は持っていない」と中国側に嘘を伝えると、「国璽ならこちら で用意してある」と言って本物そっくりに偽造した国璽を捺したのです。
   たしかに、昔に比べてチベット経済は発展しました。飛行場をはじめ、 電車、道路などのインフラも整つたのは事実です。しかし経済発展、インフラの恩恵を受けているのは、中国から来た大量の移住者や軍の関係 者、チベットの行政にかかわっている人間だけ。一般のチベット人には 関係のない話なのです。
「政治の安定」という言葉も聞いて呆 れてしまいます。本当に政治が安定 しているのならば、今回の五十周年祝賀会でも、参加者を当局が選定し たり、人民解放軍、武装警察が常に会場を監視したりする必要はないで しよぅ。
 それに、自分の体にガソリンをかけて焼身自殺をする人間が百四十二人も出てくるはずはない。しかも、 この百四十二人という数も身元の判明している人だけ数字です。
 最近は焼身自殺の取り締まりが厳しくなり、焼身自殺者の家族や関係者にも追及が及ぶようになったた め、焼身自殺を図る者は身元がわからないように実行するのです。

パンチェン・ラマ師の安否

 五十周年祝賀会二日前の九月六 日、中国政府は記者会見を開き、「チ ベットでの民族自治制度の成功実績」と題する白書を発表しました。
「一九五九年の民主改革と一九六五 年の民族地域自治制度の実施以来、 チベットでは新しい社会主義制度が 確立され、同時に経済社会発展も歴 史的に飛躍した。経済の急速な発展と社会の全面的進歩によってチべッ トの各民族は確実な利益を得て、人民の生存と発展の権利が保障されるとともに社会は調和し、安定してい る」
   チベット自治制度を正当化するもので、五十周年祝賀会での祝電とほぼ同じ内容でした。
 その会見では現在、中国に拉致され、消息が不明になつているパンチ エン・ラマ十一世についての情報も公表しました。
「ラマ氏は普通に生活を送ってお り、『そっとしておいてほしい」と言 っている」と中国政府は伝えています が、これも本当かどうか疑わしい。
  中国に拉致されてから二十年もの 間、訪中する何人もの指導者たちが パンチエン・ラマ師に会わせてほしいと要請しましたが、中国は応じま せんでした。
  会見であんなことを言つたら、却 つて不自然に思われるのは予想のつ くことですし、本当なら、公の場に出てきてパンチヱン・ラマ師自身の口から発言させたほうが中国にとってもプラスのはずです。
  しかし、そうしなかつた。「公に出 せない事情があるのでは」「すでに殺 されているのでは」と勘繰りたくなり ます。
  なぜ中国はいま、パンチエン・ラマ師の情報を公表し、祝賀会や白書 などで「チベット自治制度は成功している」と世界にアビールしているので しょうか。
  これには、九月二十五日に予定されている米中首脳会談が関係しています。アメリカにはチベットの支持者が大勢いますし、ダライ•ラマ法 王の人気も高い。講演会はいつも满員です。
  来年、米大統領選挙に突入すれば、各候補者が激しく中国を批判するこ とが予想されます。習近平主席は彼らの批判を躲すアリバイとして、「チベット自治制度の成功」を世界にアピールしているのです。

欺瞞に満ちた習近平演説

  五月二十三日に行われた「日中友好交流大会」で、習近平が行った演説に も許せない一節がありました。
「日本軍国主義が犯した侵略の罪を隠したり、歴史の真相を歪曲したり することは許されない。日本軍国主義の歴史を歪曲し、美化しようとす るいかなる言動も、中国人民とアジ アの被害国の国民は決して許さない」   
 どの面下げて言うのでしょぅか。 中国は以前、「チベットは有史以来、中国の一部だった」と言っていました。明らかに歴史の歪曲ですが、 次は元(一二七一〜一三六八)の時 代から一部だったと言い始め、現在 は「古代より中国の一部だった」という曖昧な表現を使っています。
  歪曲した歴史でさえコロコロと見 解を変え、一貫性がない。まったく 信用のできない国です。
  また、習近平は九月三日に行われ た「抗日戦争勝利七十周年式典」での 演説で、軍を三十万人削減することを明言し、メディアは大きく取り上 げました。しかし、この「三十万人 削減」発言の裏を読み、分析したメ ディアはなかったように思います。
  この削減される三十万人は基本的に陸軍で、二〇一二年に失脚した薄熙来と繫がりのある人々だと見られ ています。つまり、三十万人削減は 自分の派閥闘争を都合よく進めるた めの方便なのです。
  それに、陸軍は基本的に本国を守るための部隊。三十万人削減で浮い た分のカネは、外に出て攻擊を仕掛ける海軍、空軍のために使われることは想像に難くありません。ですか ら三十万人削減発言は、手放しで喜 ベるようなことではないのです。
  一九八〇年代、鄧小平が兵力を百 万人、削減したことがありましたが、 その削減された百万人は、公安警察 や武装警察に流れただけでした。習 近平は鄧小平と同じことをしているにすぎないのです。
 今回、もう一つ話題になったのは、 習近平と対立していると見られる江 沢民元国家主席が式典に出席したこ とです。
  なぜ今回、江沢民は出席したのか。中国国内の官製メディアをチェ ックしていると、あることに気が付きました。海外メディアには江沢民の姿が出ていましたが、中国国内のメディアでは江沢民の映っている映像、写真は全部カットされているの です。中国中央電視台から始まつて、人民日報など官製メディアは習近平、プーチン大統領、朴槿恵大統領、潘基文国際連合事務総長の姿を出すばかりでした。
「私たちは決して派閥闘争をしているわけではない」と世界に対してさり 気なく印象付けると同時に、「いまは 俺の時代だ」と江沢民に見せつけるわけです。
  ですが、日本の新聞には「三十万人 削減」と見出しがついているだけで、 深く掘り下げた分析はありませんで した。
  日本のメディアには中国の言葉を 単純に捉えるだけではなく、その裏 にある意図、背景などをしつかりと 分析してほしいと思います。

“三つの勢力”の取り締まり

 中国は昨年から、“三つの勢力”の 取り締まりを強化すると発表しました。
  第一の勢力は分裂主義。これはチ ベット、ウィグルなどを指していま
す。
  第二は過激主義。これは宗教を指しています。ことに近年、中国はキ リスト教徒に対する弾圧を強めてお り、この一年半だけでも五十の教会 を破壊、一千三百人の信者を逮捕したという情報があります。信者だけでなく信者の関係者、弁護士も逮捕している。中国はキリスト教を通じ て、西洋の民主主義が入ってくることがよほど怖いと見えます。
  パデュー大学で社会学を研究するフェンガン・ヤン教授の研究によれ ば、二〇三〇年には中国のキリスト 教人口はニ億四千七百万人に上り、 世界一キリスト教徒を抱える国にな るとの試算があります。ために、いまから弾圧を強めているのでしょう。
 第三はテロリズム。現在、中国は 「テロリスト=ウイグル族」と定義し ています。
 二〇一三年に起きた天安門広場自動車突入事件や、タイのバンコクで今年八月に起きた爆弾テロも中国はウイグル人の犯行だと断定し、弾圧 する口実にしています。
  以上の三つの勢力と中国は徹底的に戦うとしていますが、裏を返せば アメリカや日本以上に、この三つの勢力を中国は脅威に感じているとも 言え、これらへの弾圧はますますエスカレートしていくことが予想され ます。

法王は問題を解くカギ

 三つの勢力と同等に中国が脅威を抱いているのが、ダライ・ラマ法王 の存在です。私はこれまで、チべット問題に関して中国側と十五年間、直接、間接的に交渉などをしてきましたが、彼らは法王をチベット問題 の元凶と思い込んでいる。私は中国 側によくこう言っていました。
「法王は問題を解くカギだ。決して 法王自体が元凶なのではない」
 しかし、私の言葉は理解してもらえず、法王への批判、弾圧は強まるばかりでした。
 中国当局は二〇〇七年、法王をは じめとする活仏の高僧が、生まれ変 わりの子供を探して後継者に選ぶチベット仏教の伝統「活仏転生制度」に 介入し、法王の後継者選びは当局の認定を受けなければならない「チべッ ト仏教活仏転生管理弁法(規制)」をつくりました。
  無神論の共産党が活仏転生にかか わるのですからおかしな話なのです が、偽の後継者を仕立てれば、チべ ットだけでなくチべット仏教の国、モンゴル、ロシア領内のカルムイク共和国、ブリヤート共和国などを掌 握できる。
 この法律に対抗するため、法王は 「自分が最後のダライ•ラマかもしれ ない」との発言をし始めました。法王の影響力は絶大ですから、法王自身 が「自分が最後のダライ・ラマだ」と 発表してしまえば、中国がいくら偽 の後継者を仕立ててもチベット仏教 の国々は信じません。右の法律を無 効化できるのです。

中国の野望を阻止するには

 あまりに恐ろしいことで口に出すことも憚られますが、中国はいま、 ダライ・ラマ法王が他界するのを待 っています。
 中国が二〇〇九年から亡命政府との正式な対話を打ち切ったのも、法 王が亡くなるまでの時間稼ぎが目的でしょう。法王がいなくなれば必然的にチベット、亡命政府が瓦解すると考えているのです。
 中国には昔から囲師必闕(必ず逃げ道を開け、窮地に追い込んだ敵には攻擊をしかけてはならない)という言葉があります。昔の中国には、 まだこの言葉が生きていました。
   一九五九年、ダライ・ラマ法王が チベットからインドに逃れた時のこ とです。途中のヒマラヤ山脈を越える時に、ヘリコブ夕—に乗った中国 の追っ手が法王を発見した。追っ手 は毛沢東に「発砲の許可をください」 と言うと、毛沢東は「放っておけ。い ずれ餓死する」と、追い詰めることが できたにもかかわらず、見逃しまし た。
  ですが習近平体制になって以降、 それが変わってきている気がしてな りません。
  習近平が就任してから掲げている 「中国の夢」はかつて中国が直接的、 間接的に影響を及ぼした地域、国を取り戻すことです。その夕ーゲット のなかにはもちろん、日本の沖縄や 尖閣諸島も入っている。チベット問題、ウイグル問題同様、これらの領土の主権も自分たちの核心的利益で あると言い続けています。
  中国の野望を阻止するためにも、 先述したように、日本などがしっか り中国の動向に目を光らせ、中国側 の言葉を鵜呑みにすることなく、そ の裏にある意図を分析する必要があ るのです。

※『WiLL』(2015年11月号)掲載

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2012年6月25日 (月)

日本をチベットのようにしてはならない (後編) 竜の口法子

 国は守らなければなくなってしまう──。それを思い知らされる事実のひとつが、チベット問題です。前号に引き続き、幸福実現党の竜の口法子さんが、いまは中国の“自治’区”となったチベットから亡命し、日本lこ帰化したペマ・ギャルポ氏に、チベット問題について聞きました。

日本のマスコミは中国の顔色を窺っている

前回は、ペマ・ギャルポ先生に、「チベットの歴史と現状」についてお話を伺いました。民族、文化、宗教、そのどれをとっても中国とはまったく異なるな国であったチベットが、暴力にによって“自治区”にされてしまった現実と、これだけ国際化が進んだ現代においても人権弾圧が続いていることを思い知らされました。今回は日本の現状について、ペマ先生のお話を交えながら考えていきたいと思います。
 今回のように直接話を聞かなければ、チベットの現状がここまで悲惨だということは、私も知りませんでした。ときどき、チベットやウイグル、モンゴルなど、少数民族の“自治区”といわれる地域で“暴動”が起きていると報道されることがあります。日本のニュースでは少ししか報道されませんし、“暴動”という言葉を使っていますが、実際は反中国のデモが数多く起き、中国の武装警察に鎮圧されているそうです。
 ペマ先生は日本のマスコミの問題点を指摘します。
 「日本のマスコミは中国の顔色を窺っているところが多く、真実を報道していません。マスコミは本来、真実を伝え、啓蒙することが使命ですが、今の日本のマスコミは『中国が取材に協力してくれなくなったら困る』という事情を優先してしまいます。私がテレビに出
演して中国に不都合なことを話すと、後で中国大使館からテレビ局に電話がかかってくるそうです」
 そんな中で私たち日本人は、どのように情報を選択していけばいいのでしょうか。
 「日本人は自分自身で考える力を持ってほしいです。どうか、マスコミが流す情報に“洗脳”されないようにしてください」

憲法9条では日本を守れない

 また、「私は仏教徒ですが」と前置きしてペマ先生は言いました。
 「戦争を避けたかったら、戦いの準備をした方がいい。防衛のためです。日本が平和を守れたのは憲法9条があったからではなく、アメリカが日本を守っていたからです。そして、野心を持った国、中国がまだ弱かったから。しかし中国は軍備の近代化を急ピッチで進めており、初の空母も配備しつつあります。日本は自分の国を守る覚悟悟を持たなくてはなりません」
 ところが、ある日本人は、「中国が攻めできたら日本は降参すればいい。中国が日本に悪いことをするわけがない」とペマ先生に反論してきたそうです。
 「“二級市民”にされる屈辱は、味わってみなければそのつらさがわからないのでしょう。
 日本は天皇制を中心に2千年間、国を維持してきました。アジアのほとんどの国が植民地化される中で、日本は自ら明治維新を起こし、国を守ることに成功しました。戦争に負けたときも、屈辱と悲しみの中から日本を繁栄させようと、先輩たちは歯をくいしぼって頑張った。その結果、いまの日本があります。
 日本を守るためにいちばん必要なことは、軍事力ではないと思います。必要なのは、「自分の国は自分で守る』という自覚です。日本は、平和ボケしていた昔のチベットと同じように、国民一人ひとりが国を守る必要性を感じていないのではないでしょうか。
 私は、第二の祖国・日本をチベットのようにしたくはありません。だからチベットの現状を伝えて、日本にはそうなってほしくないと訴えているのです」

国を守るうえで女性の役割はとても大きい

 最後に、日本の女性たちへメッセージをいただきました。
 「『母国語』と言いますが、『父国語』とは言いません。国と民族を守るうえで、女性の役割はとても大きいと感じています。子どもの最初の先生はお母さんですからね。日本の女性にお願いしたいことは、母国語を大切にしてほしいということです。言語にはその国の文化が生きているからです。たとえば、日本では同じ魚を大きさによってシラスと呼んだりイワシと呼んだりしますが、チベッ
トでは同じ魚の呼び名は一種類です。かわりにヒツジを表現する言葉がたくさんあるのです。
 それから、日本の国会議員には女性が少ないです。これは制度の問題でも、優秀な女性がいないからでもなく、政治に対する関心が薄いからではないでしょうか。自分たちで未来をつくることができるということを信じて、女性たちが自分の意志で一票を投じれば、日本は変わります」

           *   *   *

 今回の対談を通して、ペマ先生の、「愛する日本を何とか守りたい。しかし、もどかしい」というお気持ちが、ひしひしと伝わってきました。また、「国がある」ということが、当たり前ではないとわかり、身が引き締まる思いがしました。チベットが中国の“自治区”になって半世紀以上が経ちます。今、世界中で、中国の人権弾圧の真実が、ペマ先生のような勇気ある人々の行動によって明らかになってきています。その真実の声に耳を傾け、私たち日本人が、「祖国を守る」
という気概を取り戻すときは、「今」なのではないでしょうか。
同時に、日本が中心となって、中国の覇権と人権弾圧をくい止め、アジアの平和と安定に貢献していくことが、アジアだけではなく世界の希望になると感じました。

※『Are You Happy?』(2012年7月号)より転載。

☆チベットをもっと知るためのBOOKS&DVD紹介

「チベット問題」を読み解く (祥伝社新書)

チベット女戦士アデ (総合法令出版)

風の馬(アップリンク)

ヒマラヤを越える子供たち(小学館)

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チベットの現状

 この度、矢野先生の特別なご配慮によりチベット問題についてカレントに原稿を書けることは大変有難く、嬉しく思っています。私の思師の倉前盛通先生がかつてよくカレントに寄稿なさっていたので私も拝読する機会に恵まれておりました。その内容の濃さと社会に対する影響の大きい執筆陣には、常々尊敬と憧れの念を抱いていました。その雑誌にチベット問題について紹介できることは本当に嬉しいことだと実感しています。

 そもそもチベットは二千数百年の国家としての歴史を持ち、中央アジアの大国であり特に「吐蕃」として知られたチベットは中央アジアの大帝国でした。またチベットは七世紀~九世紀にかけては仏教哲学、占星術、仏教美術、チベット医学などが発達し、アジア有数の文明大国でもありました。   
 しかし十世紀の後半から十七世紀の初期ころまでは内紛などによって国家はいくつかの諸国に分裂し、かつての王系は西チベット、今日ラダックとして知られる領域に移っていきました。
 その後宗教家などによって統一が図られ、いくつか宗教家たちによる王朝が形成されましたが、本格的に中央集権的国家の統一を図り有効な政治制度を作ったのは第五世ダライ・ラマの時代即ち十七世紀でした。一六四二年に偉大な五世は政教一致のガンデンポタン政庁を創設し、法律など整備することで機能的な中央政府を確立すると共に俗世界と精神世界、つまり宗教界と貴族、豪族などを中心とする二重の政治制度を確立しました。
 法王の下、ほぼ全チベットに及ぶ影響力のある中央政権を充実させ、特に中央政府の直轄地においては僧侶と俗人二人が県の最高行政官などに任命され、互いに監視すると同時に競い合わせるようにさせました。この制度によって確立した宗政一致の政治制度は事実上昨年二〇 一一年、第十四世ダライ・ラマ法王自身が政治的権力から完全に退かれるまで、約四百年間続きました。
 この四百年間一九五〇 年代まで約三百年間にわたって鎖国政治を敷き、諸外国特に西洋の国々との接触を拒むと同時に、西洋の文化の侵入、西洋による植民地化を阻止することが出来ました。
 またこのチベットの鎖国政策は当時明朝、清朝及びインドを殖民地支配していたイギリスにとっても互いの不干渉地帯として都合が良かったのです。チベットにおける覇権を狙ったのはこの二国のみならず、ロシア帝国もチベットの覇権を狙っていたのです。このような地政学的背景と大国の都合によりチベットは事実上の独立を貫くことが出来ました。
 勿論この間も中国も英国も少しでも自国の覇権範囲を拡げようとチベットにちょっかいを出していたことはありましたが、チベットはなんとかしてその都度不平等条約などを受け入れながらも独立を維持することに成功していました。しかし一九四九年、中華人民共和国の成立と共に、毛沢東は明確に次のターゲットがチベットであることを宣言し、一九五〇年に人民解放軍をチベットに送り込みました。
 最初の約二万人の軍隊に対し、チベットの国境には軍隊すら配備されておらず人民が持っていた武器はイギリスとロシアの粗末な兵器を民間人が自衛と狩猟のために保持しているに過ぎませんでした。当時チベット政府の軍人は法王の警備隊も含め一万数千人であったと当時の親衛隊隊長であったダライ・ラマ法王の義理の兄上から私は聞いたことがありました。そのときチベット全土には約二十七万人の武器所持を否定する僧侶がいました。
 つまり仏陀の教えを忠実に護ろうとする比丘であるダライ・ラマ法王を項点にするチベットは長い間平和を祈り、平和を望み、平和のために修行して人生を過ごすことが国全体の願いでした。ですが空しくも中華人民共和国の大砲と機関銃の前に非武装のチベット人は無力でした。そのため停戦に応じた中国の要請でチベットの代表団が北京に出向きました。
 当時英語の通訳と中国語の通訳として会談に参加した人から直接聞いた話によると、北京とのやりとりは交渉ではなく、先方の一方的な要求と脅かしであり、最後には中国側が用意した偽の印鑑まで押し付けられ、所謂十七条協定なるものが成立しました。これによってチベットは中国の特別行政区になるしかありませんでした。
 その後約九年間、当時十代であったダライ・ラマ法王はあらゆる手を尽くして北京と平和裡に共存共栄する方法を探り努力しましたが、結果は中国によるその十七条の協定すら尊重しないどころかダライ・ラマ法王のお命まで危険が迫ったので、民衆は一九五九年三月十日に立ち上がりました。この時沢山の僧侶たちも衣を捨てて武器を取り、チベットゲリラに参加しましたが、時は遅すぎ、その結果ダライ・ラマ法王はインドに亡命することになりそれ以来半世紀以上ダライ・ラマ法王は亡命者の身となり、チベットは中国の殖民地支配を受け、現在は更に同化政策がどんどん進んでおり、それに抵抗する僧侶たち民衆は自分の尊い命を犠牲にした焼身自殺を行って中国政府に抗議すると共に、中国によるチベットの不当な支配と人権侵害を世界に訴えています。
 しかし中国の拡張しつつある覇権の背景には経済を武器とした各国との強い結びつきが出来ているため、世界の世論の支持があっても産業界などから圧力を掛けられている各政府は、中国の暴走に対して何一つ手を打てない状況に陥っているのは実に残念でなりません。世界各国の指導者は人権の重要性や主権の尊重を声高らかに選挙のたびに訴えても、現実的には経済を背景とした中国に屈しているとしかありません。日本も例外ではないのです。

※『カレント』(2012年6月号)より転載・

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2012年5月22日 (火)

日本をチベットのようにしてはならない(前編) 竜の口法子

300年の平和の中でチベットが失ったもの

 今年の初めに出版された『最終目標は天皇の処刑──「日本解放工作」の恐るべき全貌』(飛鳥新社)をご存じでしょうか。これは、中国に侵略されたチベットの亡命難民として日本40年間過ごし、2005年に日本に帰化された、ベマ・ギャルポ先生の最新刊です。
 日本を愛するペマ先生の「日本には、チベットと同じ過ちを犯して中国の植民地にされてほしくない」という言葉は、重く説得力があります。ぜひ、ペマ先生に直接お話をお聞きしたいとお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。

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 チベットは今、「チベット自治区」として、中華人民共和国の一部に組み込まれています。なぜ、歴史ある国家が、中国の一部となってしまったのでしょうか。ペマ先生は、「20世紀のはじめまで、300年の鎖国政治を続けていたチベットは平和でした。しかし、人々は平和に著り、国を防衛するという意識を失ってしまったのです」といいます。

僧侶が抗議の焼身自殺

 2011年の3月16日、中国四川省アバ・チベット自治州アパ県で、若い僧侶が焼身自殺を遂げました。この僧侶の死に対する償りが寺院のみならず周辺住民にも広がって、中国当局との間で一触即発の事態になりました。
「僧侶の自殺は、『世界の人々に、何とかチベットの現実を知ってもらいたい』という文字通り命がけのアピール他に方法がないのです」(ペマ先生)
 この僧侶は以前から、チベット語で勉強ができる民族学校の閉鎖などに反対していたそうです。中国政府は、現在はチベット語も公用語に加えており、表面上はチベット語の使用や教育を禁止しているわけではありません。しかし、試験は中国語で行われ、仕事も中国語が話せなければ何もできないため、事実上、チベット語が使われなくなるようにしているのです。

チベット諮の教育を受けるために

 人類の歴史の中には、すでに滅ぴた民族もいます。しかし、自分たちの文化、特に言語を維持している限り、ひとつのアイデンティティーをもってその民族は続いていくのです。だからチベットの親は、唯一チベット語で教育を受けることができるダライ・ラマ法王のもとに、子どもを送り出します。といっても、ダライ・ラマ法王がいるチベット亡命政府の場所はインドのダラムサラ。標高6000メートルのヒマラヤを徒歩で越え、一旦ネパールに入った上でインドを目指さなければなりません。無事にたどりつけるのは約3分の1。もし途中で見つかれば、送り返されて親子ともに拷問されます。それでも、親は子どもを送り出すのです。

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しかし、ペマ先生は「1年間で約1000人が亡命できた日々はまだよかった。今はヒマラヤ越えもできなくなりました」と言います。6年ほど前から中国がネパール政府に圧力をかけたため、ヒマラヤを越えても、ネパール政府によって捕らえられ、中国側に引き渡されてしまうのです。

徹底した同化政策

 中国の同化政策は徹底しています。言語以外にも、チベット音楽には特有の音階がありましたが、中国風に変えられてしまいました。ペマ先生は「日本ではチベットで放映されているテレビを見ることもできますが、私は観ていられません。歌は中国風に変えられ、チベット語のイントネーションまでも中国風になっているからです」と語ります。
また、チベットの民族衣装は、帯をとればそのまま布団になるように長く作られていましたが、それを作らせないように、長い生地の販売は禁止されています。
さらに、チベット人の数を増やさないために、中国人男性がチベット人女性と結婚する場合は何の障害もないのに、逆の場合は政府からの許可が必要です。「昔は、チベット人女性の強制中絶が行われました。チベット人女性が子どもを産めないように手術させられたという話もあります」(ペマ先生)。もはや同化政策というより、民族を消そうとする「民族浄化政策」です。

信仰がチベットを守っている

 私はペマ先生がきっぱりと言ったこの言葉が印象的でした。「布教を認めない中国であっても、チベット人から信仰を奪うことはできません信仰は内面のものです。暴力で信仰心を奪うことはできないのです」
これを聞いて、「過酷な状況の中で、最終的に頼れるのは信仰」なのだと感じました。
 中国の弾圧に決して屈することなく、「チベット人の誇り」を持ち続け、文化や言語や歴史を伝えようと命がけで戦い、結果、今もチベットを守っているのは、信仰から来る強きだと思います。
 今回、チベットへの中国の弾圧は想像以上に悲惨なものだと感じました。民族を抹殺しようとする中国の政策は、決して許されるものではありません。今も命がけで職うチベットの方々のためにも、日本において、真実を伝えていかなくてはならな
い。そう強く感じました。(次号へ続く)

チベット

7世紀紀初めに統一王朝・吐蕃が成立。ソンンツェン・ガンポ王の時代にラサを都と定め、領域を拡大する.。8世紀末に仏教を国教化。

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17世紀に、チベット仏教の最高位ダライ・ラマが元首となり、政教一致体制が確立する。1950年以降、中国の武力侵攻を受け、1965年自治区として併合された。ダライ・ラマ1 4世は1959年に亡命し、現在も北インドのダラムサラに亡命政府を置く。亡命者は毎年増え続けており、インド、ネパールを中心に、13万人以上が亡命生活を送っている.。

チベットを知るための4つのキーワード

北京オリンピックで明らかになったこと

2008年、北京オリンピック開催を前に、中国の人権侵害に対する反対運動が世界各地で起き、各国の聖火リレーにも影響を与えた。日本でも長野県の善光寺が、同じ仏教徒としての反対の意志を表して聖火リレーの出発式会場となることを辞退。聖火リレーの時間に合わせてチベット騒乱の犠牲者への追悼法要を実施した。また、各国の反対運動に対抗するために集結した中国人の姿や、オリンピックの取材に入った各国メディアへの報道規制の解除が不十分であったこと、デモ活動を許可すると言いながら許可しなかったことなどから、自由が制限されている中国の現状が印象付けられた大会でもあった。


ダライ・ラマ法王とは?

ダライ・ラマ法王は、チベットの国家元首でチベット人の精神的指導者。「悟りの境地を得ながらも人々を救済するために、この世に生まれ変わる観自在菩薩の化身」と信じられており、チベット人のダライ・ラマ法王に対する尊崇の思いは、言葉に表せせないほどだという。

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現在のダライ・ラマ法王は第14世。中国の弾圧が激しさを増してきた1959年3月10日、法王の身の危険を察知したラサ市民が一斉蜂起したが中国軍により弾圧され、法王は亡命を余儀なくされた。法王はインド北部のダラムサラにチベット亡命政府を置き、対話による平和裏の闘いを続けている。

道路と鉄道がもたらしたもの

1950年に中国人民解放軍がチベットに入ってきたとき、彼らは、「あなたがたの社会がよくなる手助けをしに来た」と言っていたという。実際に、道路や空港を建殴し、学校を作るなどしてチベット人の信頼を得ていった。

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しかし、中国四川省とラサを結ぷ道路が開通した翌年の1955年、中国側は本格的な弾圧を開始する。道路は中国の軍隊や兵站を効率的に運ぶ動脈となったのだ。さらに2006年に青海省とラサを結ぶ青蔵鉄道が全線開通すると、中国人の移民が大量に流入。現在のチベットの人口は、チベット人600万人に対して中国人は750万人。賃金のよい仕事はほぼ中国人に独占されている。


中国政府への抗議は命懸け

焼身自殺によって中国政府に抗隠するチベット人が後を絶たない。2009年2月27日にチベット北部アムド地方のキルティ僧院で当時20代半ばだった僧侶が自殺を遂げて以来、現在までに30名を超えるチベット人が犠牲になっている。彼らがこのような手段を選ぶ理由は、中国政府の批判や抵抗をした者は捕らえられ、仲間の名前を言えと拷問を受け、投獄されるためだ。チベット亡命政府によると、人民解放軍の侵攻以降、戦死や獄中死も含めておよそ120万人のチベット人が命を奪われている。焼身抗議は今年に入ってからもすでに20件に上っており(4月11日現在)、今も状況は変わっていない。

※『Are You Happy?』(2012年6月号)より転載。

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2011年6月26日 (日)

チベット改革仕上げる法王

中国支配の弾圧は続く
ハンストで抗議する青年ら

 今回はチベット間題について報告したい。皆様ご存知のようにダライ・ラマ法王は400年続いた宗政一致の政治制度に自ら終止符を打ち、チベツトの王としての政治的権力および行政の最高責任者としての地位を退く、と今年3月10日に発表された。もちろん法王は熟慮を重ねた決断である。亡命政権の議会と内閣は法王に考えを直していただくよう再三嘆願したが、法王の決意が固く、最終的には内閣も議会も承諾せざるを得なかったようである。

 議会は内閣の主席大臣と議会の正副議長ら5人からなる小委員会を結成し、今後の法王の地位などについて研究し、議会に報告するとともに法王の新たな地位に関する暫定憲法の見直しをすることになった。またこれを受けて、内閣と議会は第2次チベット人大会を5月21日~24日に行った。チベットの各難民キャンプ、各宗派の代表など大勢が集まって今後のチベットのあり方について検討を加えた。チベットの人々の総意として、今後も法王には何らかの形でチベットを導いていただきたいということになり、元首の地位にとどまっていただきたいと陳情する方針を議会は採択した。しかし、法王のご意思は固いようである。今後、チベット民族にとって法王をどう表現するかは第14回議会でまとめる方向だ。

 法王はこの数年北京政府との平和的なチベット問題の解決を求めて、対話路線を歩んで来たが、中国側の不誠実な対応のため2009年10月以降は進展がない。長きにわたって法王のご意思を尊重し北京政府との平和的解決に対し、多少の期待を持っていた人々でさえも、北京側の時間稼ぎのような対話には強い不審と不満が湧いてきている。

 そこで法王が今まで努力した結果、北京政府が一向に誠意を示さないばかりか後退するような発言や言動に、法王もかなり中国のやり方に落胆を隠せず、だからと言って対話路線を諦めることもできないため、中国の当局に対してもまたチベットの不満分子に対しても匙を投げたとも言えよう。

 もう一つ法王の政治の第一線から退く理由は、法王ご自身の長年のライフワークとして「近代チベット民主化の父」として、ご自分が健在なうちに民主化を図り、国民から直接選ばれた人物に政治的権限を委ねるとともに、その人を支えていく覚悟を示されたものと思う。

 法王はインドに来て間もない時期からご自分がチベットで実現しようと思っていた改革を実践実行するため、チベットの民主的な憲法の草案をまとめ自らの地位をも憲法の中に規定するなど様々な民主改革を行ってきた。そして今回は総仕上げのような気持ちで政教分離をより明確化し、他の民族から強制されなくともチベット人は自ら変わる能力があることを示されたのだと思う。

 法王はまた一方において中国政府によって所謂チベツトの活仏制度そのものに千渉しようとしている中国に先手を打つため、自ら政教分離をすることで、チベットのみならずチベット文化圏のより多くの方々に影響を及ぼすことで、世界の平和の指導者として貢献しようとなさっているのではないだろうつか。

 即ち、チベットのみならずチベット文化圏の法王としてチベット仏教が盛んな国々、モンゴルやインドのラダック、ロシアのブリヤートや、カルムィキア共和国、そして今増えつつある西洋の仏教徒などへ影響を及ぼすことによってチベットという狭い世界よりも、全世界を意識した広い意味でのリーダーになることで正義と平和を追求されるのだ。

 しかし、悲しいことに中国はここを逆にチャンスと見て、今、中国支配下のチベット国内の弾圧はより強くなっており、現在も今年3月に焼身自殺をした青年僧侶の死を悼み寺院に集まった周辺の人々を始め、約2000名の入々が体よく寺院に閉じ込められ、未だに外部と接触できないような状態に置かれている。この状況を打破しようと世界各地で署名運動やデモなどが行われている。

 ニューデリーではチベット青年会議のメンバーを中心に無期限のハンガーストライキに突入している。この青年たちの活動は、まさに法王のご意思通りの平和的な手段で抗議を続けており、純粋な気持ちで世界にアピールしようとしている。しかし、残念ながら世界各国の政府は人権をお経のように唱えてはいても、実際チベットの人権などに関心を持ち中国政府に対し中国の行うことが非人道的で、社会の常識に反するものであり、そのような人権の抑圧を看過できないと訴える人はほとんど現れず、結局、力が強い者には正義も通用しないというのが今の物質文明の世界の風潮であるのかもしれない。

 5月21日から中国の温家宝首相が来日した。私はこの時期に日本の政治家たちや財界のトップがチベット問題のみならず、現在中国の下で苦しんでいるあらゆる政治犯の皆様を釈放し、その人々の人権が回復できるように日本が中国にアドバイスをするようになることは、日本にとっても、中国にとっても有益ではないかと思う。

※『世界日報』(2011年06月1日付)より転載。

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2011年5月17日 (火)

【インタビュー】チベット、そして日本を語る

破壊されたチベット文化

──チベットは、もともと中国の一部ではありませんよね。

 そうです。チベットは1949年に中華人民共和国が成立すると同時に軍事的に侵略された国ですので、現在は、法的に言うと占領下の国家と言えます。中国の支配に対して、正当性が十分にないため、今でもチベットでは抵抗運動が続いています。
 面積は約250万平方キロメートルで現在の中国の約4分のーがチベットです。中国全土は950万平方キロメートルありますが、その中で63パーセントはチベット、ウイグル、モンゴルなどの国家が占めていますので、中国は、日本人がよく言うような大きな国では決してありません。チベットの領土は現在、中国の下で6つの行政区に分かれています。いわゆるチベット自治区のほか、青海省、四川省、雲南省、甘粛省、陳西省に分割され、併合されています。
 1959年3月10日には、チベット仏教の法王であるダライ・ラマ14世が中国の弾圧によってインドのダラムサラに亡命し、同時に8万人のチベット人がインド各地に亡命しました。したがってこの日は毎年。世界中でチベット決起集会などが行われています。
 また、中国の弾圧によって、多くのチベット人が直接的・間接的に犠牲になりました。その数は、中国人民解放軍が入ってきた1950年から87年頃の統計だけでも約120万人に上っています。チベットでは現在も1000人以上の「政治犯」が刑務所に入っていて、その人たちとは自由に接触もできません。
 これに対して、世界の人権団体などが中国政府に抗議をしています。しかし中国は聞く耳を持ちません。また、世界中が中国の安い労働力と、中国がチベットなどから奪った地下資源等を当てにしていますので、諸外国は中国に対して、十分な非難声明を出せない状況にあります。ただし議会では、日本以外の先進国はチベット問題に関して、少なくともダライ・ラマ法王と北京政府が対話し、平和的に解決するようにという決議がなされています。
 チベットにおいて中国が行っていることは、同化政策です。チベットやほかの民族をすべて中国化していくのが狙いです。中華人民共和国は、設立以来、世界の覇権を狙っているので、覇権国家としての政策を着実に実行しています。例えば中国の教科書を読むと、沖縄まで自分たちの領土であると書いてあります。沖縄は日本に戦争で奪われた土地だというのです。チベットについても同様で、清朝時代や元の時代にチベットは中国の一部だったとしています。
 チベットは2100年以上もの歴史を持つ国家です。その間、中国がチベットを支配した実績はありません。中国が勝手に言っているだけなのです。沖縄も同じです。中国からすれば、かつて何らかの朝貢を受けたり、影響を及ぼした所は、全部自分の領土だというわけです。最近、中国が軍事的、経済的に強くなって、この傾向はますます強くなっています。日本の尖閣諸島に対するクレームも、その延長だと思います。

──同化政策はどのように行われましたか。

 同化政策の中心は、まずチベット語をなくすことです。中国は1960年代から89年まで、チベット語を禁止しました。しかし89年に胡耀邦が総書記になった時に政策が変わり、一応チベット語を教えて良いことになりました。でも実際は、チベット語を勉強しても就職はなく、上級学校にも進学できない。道路標識も中国語で、役所でも中国語しか使っていません。だから構造的にチベット語はなくなりつつあります。また、チベットの民族衣装は長い布で作られていて、腰のひもを取ると布団にもなるものですが、中国はそれを作らせないために、短い布しか売ってはいけない規則にしました。中国は次々とチベットの伝統文化を破壊しているのです。

──特にチベット仏教のお坊さんは弾圧されましたね。

 宗教はアヘンであるという前提のもとで、お坊さんたちが一番被害を受けました。お坊さんは文字の読み書きができるインテリです。エリートをまず抹殺するのは共産主義の特徴の一つです。また、チベット人のアイデンティティーの根本には、チベット仏教があります。それを破壊するために、中国は、お坊さんたちに布教活動を禁止し、国民にも、私たちにとって信仰の対象であるダライ・ラマ法王の写真を持つことをいまだに禁じています。
 中国の侵略以来、多くの高僧たちが激しい拷問を受けたり、なぶり殺しにされてきました。一般大衆は、その様子を見ることを強制されます。それがいわゆる人民裁判です。ほかにも「反社会分子」とされた人々が人民裁判にかけられました。そこでは、しばしば子供が両親の罪を糾弾したり、逆に両親が子供が銃殺されるところを見せ付けられ、その上、銃弾の費用まで払わされたりしました。また、女性への強制不妊手術、尼僧への強姦、「健康チェック」の名目で行われる血液や体液の強制抽出、子供狩りなども行われました。電気ショック
や空中吊りなど、残酷な拷問の掛け方は、おそらく世界でも例がないほどです。この20世紀末や21世紀において、ここまで酷いことを行っているのは、世界で中国だけではないでしょうか。

──そういったことは報道されませんね。

 今のマスコミはコマーシャリズムになっていますから、スポンサーがメディアに圧力をかけます。そのスポンサーに対して、北京政府がいろいろな形でコントロールをするので、中国の批判をしにくい現状があります。チベットやウイグル、南モンゴルなど、ほかにも悲劇的な現状はいくつもあります。メディアは本来、正義の側に立ち、声なき人の声を代弁し、自国民に対しても同じような運命に遭わないように警告すべきなのに、それができていないことが残念です。特に日本ではその傾向が強いです。北京政府は、軍事独裁の国に対しては、仲間として様々な援助をしていますし、資本主義国に対しては、利益優先主義をうまく活用しているのです。

中国のチベット侵攻

──中国はなぜチベットに侵略してきたのですか。

 1つは毛沢東の断続革命です。毛沢東は、中国の人民に対して華々しい未来を約束したけれども、実際はできませんでした。ちょうど民主党のマニフェストのようなものです。口では良いことばかり言っておいて、ちっとも実現できないのです。だからチベットなどで断続革命を行うことによって、まだ革命が完成していないから実行できないのだというポーズを示したのです。2つ目は、当時はまだ武器がコンピューター化していませんでした。戦争は陸続きで、ミサイルも柑手国まで飛行機を飛ばして落とさなければいけない。今のように自国からボタン一つで飛ばせませんでした。そういう意味では、インド、ブータン、ネパール、ビルマなどと国境を接しているチベットは、地政学的に、中国の安全保障上、非常に重要な位置にあるのです。
 3つ目は、チベットが資源大国だからです。今、世界にあるウラン、リチウムなどはほとんどがチベットで採れています。水資源も世界一であり、アジアの大きな川はすべてチベットから流れています。
 この3つが大きな理由です。もうーつ付け加えれば、チベット自身が平和ボケしていたことが挙げられます。チベット人は、仏様に祈っていれば平和を維持できると思っていました。だから、中国が侵略してきた時に、お坊さんは2万人以上いましたが、軍隊は1万人強しかいませんでした。それも有事の場合のみ集めていました。ですので、周囲の国が侵略してきた時の備えがなかったのです。これはチベットが16世紀から21世紀初頭まで鎖国政治を取ったことに原因があります。鎖国をしたおかげで、他国から植民地化されることなく平和に暮らすことができましたが、反面、外の世界からシャットアウトされて、自分たちの世界の中だけで生きてしまいました。1930〜40年代にネパールなど周辺国から、ヒマラヤ連邦を作って協力し合おうと言われても、相手にもしませんでした。だから北京政府のやり方を批判すると同時に、チベット自らも反省すべきところはあります。

政教分離の誤解

──日本に来て最もびっくりしたことは、多くの日本人が「特に宗籔を信じていません。ハハハ」と笑うことだったとか。

 日本人はそんなに、自分のことを完壁な人間だと思っているのかと、びっくりしたのです。日本には、政教分離についての勘違いがあると思います。例えば世界で一番長い憲法をもつインドも、政教分離を誇りにしています。でもインドの歴代の大統領を見ると、ヒンドゥー教徒が大勢いますし、イスラム教徒もシーク教徒もいます。無神論者の大統領もいますが、無神論者でも自分なりのちゃんとした哲学を持っていました。インドの1年間のカレンダーを見ると、お釈迦様の誕生日、キリスト様の誕生日、モハメッド様の誕生日などは全部休みです。インドの大統領になったら、特定の宗教をひいきにせず、国民にも特定の宗教を押し付けてはいけません。これが政教分離の原則です。
 ところが戦後の日本では、公共の場から宗教を追放することが政教分離だと誤解されるようになってしまいました。その背景には、先の戦争において、欧米諸国と戦ううちに、神道が日本の国教のようにとらえられたために戦後、神道を排除してしまったことがあります。もうーつは、広島、長崎に落とされた、科学の産物である核兵器によって負けました。そのショックが大きかったので、科学万能主義の傾向が出てきたのだろうと思います。ですから、インテリで理性的な人間は「宗教は信じないし、科学的なもの、目で見えるもの、手で触れるものしか信じない」と言うようになってしまいました。でも人間には、理屈では説明できない事柄がたくさんあります。例えば、寝ても覚めても頭の中から消えないほど好きな人がいたとしても、その「愛」は目には見えません。でも愛は確実に存在して、そのために人間は苦しんだり考えたりするわけです。だから愛を薔薇の花に託したり、口に出して表現したりする。そういう経験をして、自分の幸せは肉体的、物質的なものだけではなく、精神的な要素も必要だと感じるわけです。

 ですので、日本が世界から尊敬されるためには、や精神的な要素が大切で、そのためには、やはり何か信じるものが必要だと思います。信じるものは、何も特別なものでなくて良いのです。例えば日常生活の中で、おじいさんやおばあさんから受け継いできた価値観があるでしょう。その根底には宗教があるわけです。要は、哲学するとか、深く考えるためには、土台となる価値基準が必要です。その基礎を身に付けることが大切なのです。例えばシンガポールの学校には以前、宗教の時間がありました。仏教、イスラム教、キリスト教のクラスなどのほかに、無神論のクラスがあって、どこかーつに行かなければいけないことになっています。そうやって、自分の価値基準が持てるように教育しているわけです。日本人の中には、世界から見たら、宗教の定義にきちんと当てはまらないような、いかがわしい教えに付いていく人が結構います。それは、普段からこうした教えに対しての免疫がないからだと思います。
 インドの独立の父・マハトマ・ガンジー首相が、「人間と動物の大きな違いは、倫理や道徳があるかどうかだ。そして、その人の倫理や道徳が本物かどうかは、裏付けとして、その背景に、きちんとした宗教的な価値観があるかどうかだ」と言っています。

日本人の根っこは何か

──日本の進むべき方向について、どう思われますか。

 私は日本人が教育勅語をちゃんと読むべきだと思います。教育勅語の中で天皇陛下が「われわれの先祖は広大な理想を持って国造りをした。今日の繁栄があるのは、先人たちのおかげだ」とおっしゃっているのは特にすばらしいことです。教育勅語をよく読んでみると、仏教や日本の伝統的な価値観が十分に生きています。これまで日本を強くしてきたのは、人間の絆だと思うのです。お互いに信頼し合い、うちの会社とか、うちの学校と言い合うような結び付きがある。実家や先祖代々のお寺もある。そういう根っこを日本人は大切にしてきました。でも、戦後にできた教育基本法などは、外国のいろいろな良い面を取ってはいますが、根っこの思想がない。そこが問題だと思います。だから戦後に教育を受けた人たちが、夫婦別姓にしようとか、政党によっては外国人が党員になり、党首選挙にも参加できるようにしようといった、日本人の絆を断ち切るような事柄をたくさん生みだしています。
 教育勅語は明治時代のものですが、今でも有効だと思います。いや、今の時代だからこそ、そういう普遍性のある思想が必要です。お釈迦様の教えは2550年、イエス様の教えは2011年以上も受け継がれている普遍的な価値です。そういうものと、あちこちから引っ張って作った価値観は大きく違います。もう一度、他国から模範的な民族として憧れを受けてきた日本ならではの根っこを強くするべきだと思います。それには、日本人が持っている公共心だとか、属意識を大切にすることが必要です。
 私が日本に来て一番学んだことは、日本人の仲間意識の強さです。日本人は同じ釜の飯を食うとか、裸の付き合いだとか、共通の体験や人間関係を重視します。私が通った埼玉県の飯能高校は、決して勉強ができたわけではないけれども、スポーツや喧嘩だったら負けませんでした。だから飯能高校のバッジを付けているだけで、そういうアイデンティティーと誇りを持っていました。それによって、自分を抑制したり自粛したりしたものです。
 大学に行けば、先輩が飲み方を教えてくれておごってくれ、その代わり間違ったことをするとほっぺたを叩かれました。そういう先輩は、恩師が亡くなって17回忌になっても、わざわざ九州からやって来ます。先輩が来ると、私たち後輩はいまだに緊張します。今はそういう文化がなくなってきて、学校で喧嘩があると、すぐに教師の責任だとか監督不十分だと言われるようになってしまいました。悲しいことです。社会もマスコミも一緒になって、そういう文化を根っこからなくすような報道の仕方をしています。

日本を貫く思想を

──治安について感じることはありますか。

 私は、警察官の数を増やすよりも、犯罪の要因をなくすことを考えることが重要だと思います。犯罪をなくすためには、地域の人たちの交流を学校と家庭に取り戻すことが必要です。教育は学校だけで行うものではありません。学校で良いことを教えても、家で親が悪い模範ばかり示したら意味がない。子供たちを皆でともに育てなければいけません。社会、学校、家族、国が、机の4つの足のようでなければいけないと思います。だから高齢者も、電車で中学生が席を譲ってくれたら「私は大丈夫」とがんばらないで、「ありがとう」と言って座ることが、良い教育になると思うのです。

──警察官へのメッセージをお願いします。

 私は1970年代頃、外国からお客さんが来ると、よく一緒に交番に行って、英語で道を尋ねました。すると若いお巡りさんが先輩に向かって「巡査長、大変です。外国人です」と言う。それで巡査長が出てきて、一生懸命説明してくれて、そのうちに、面倒になって一緒に行ってくれたりします。これほど親切なお巡りさんは世界でも珍しいですよ。だからそれを外国人のお客さんに見せたくて、わざと英語で道を聞いていたのです。最近は、交番に質問しに行っても、かつてのような情がないように思います。特に、女性警察官が融通がきかないように感じます。どうか機械のようにならないでください。お巡りさんは、温かいハートの持ち主であり続けてほしいです。
 それから現代は、科学の進歩やITの発達によって、世界が小さくなりました。しかし、それによって私たちの人間関係が希薄になって、親子でもしゃべる代わりに携帯でメールをするような状況になってきています。また、日本政府は、留学生を30万人にするとか、200万人の外国人労働者を入れないと経済が成り㍍たないと言っています。犯罪にしても、地域の声、国家の声とともに、外国の反社会的な団体が人り込んできています。そういう中で治安を守るのは本当に大変なことであり、命がけの仕事です。だから警察官が、自分の仕事に誇りと目的を持てる世の中にならなければいけないと思います。その代わり、国民は警察官の命がけの仕事を評価して、感謝しなければいけない。国としても、安全な社会を維持するために、警察官の生活をきちんとした形で保証する。それが国家としてのあるべき姿だと思います。

※『BAN』(2011年5月号)より転載。

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2010年2月15日 (月)

期待薄い中・チベット対話

3月決起抑える懐柔策
ウイグルなど強権支配続く

 1月25日、チベットの亡命政府は北京政府と対話を開始するため代表団が26日から北京入りすると発表した。これは2008年11月以来、1年あまりの空白の後のことである。代表団は計5名で特別代表ロディー・ギャリー氏、代表ケルサン・ギャルツェン氏ほか3名の外交部幹部が同行している。多くの人は北京政府と対話を再開したと一種の評価をしているようだが、私は個人的に特に期待はしていない。むしろ心配をしている程である。

 北京政府はあの08年のチベット全土における大規模の反中国政府抗議デモの時は、2回亡命政府と対話を行ったが、特に大きな課題がなく、中国政府にとって世間を気にする必要のない昨年は一度も対話に応じなかった。しかし今年は上海万博を控え、アメリカの中間選挙が行われる年でもあり、アメリカ国内における人権問題やチベット問題に関心が高まり候補者達はチベット問題などに言及すると共に、中国政府の依然変わらない人権抑圧、一党独裁政治に対する批判が高まることを予測して、対外政策上、少しでも柔軟な姿勢を示すことによって批判を回避しようという思惑であるように疑いたくなる。

 北京政府は今年1月8日、北京において胡錦濤国家主席が主唱するチベット問題特別会議を開いたと伝えられている。そして北京政府は所謂いわゆるチベット自治区の生活を中国の裕福な福建、広東、上海などのレベルに上げる一方、分離独立者に対しては強硬な政策を取ることを決定したという。

 現在、世界的に関心の高いチベットに対しては取り敢えず飴と鞭を上手に使ってコントロールしようということらしいが、一方ウイグルなどを見ると次から次へと昨年のデモ参加者などを見せしめとして死刑宣告し、実際、刑を執行している。その決定のプロセスも極めて乱暴で、一方的に起訴状を読み上げ、その場で判決を下すと聞く。08年のチベットのデモ参加者に対しても昨年は同様のプロセスで一方的に裁かれ、死刑を含む厳しい判決が下された。

 私はなぜ対話を開催することに両手を挙げて喜べないかというと、2002年のことが思い出されるからである。02年においては初めて中国の外で対話を行うことや、年に2度の対話に北京側が応じ、ダライ・ラマ法王もこれを評価しチベット側が誠心誠意で対話に臨むことを発表した。更に当時チベット国民が直接選挙で選んだ主席大臣(首相)はその年9月30日、江沢民主席のアメリカ訪問の際、反対デモや抗議活動をしないようにチベット人民および支持者に要請した。

 このような方針はその他の中国の指導者に対しても適用された。このことが多くの国民と支持者を驚かせ、戸惑わせた。亡命政府としては対話を通じてチベット側の現状に対する考えや、チベット全土で行われている人権弾圧に対する抗議、ならびにダライ・ラマ法王の提唱する真の自治に関する真意を北京側に伝える機会として重要視していることは理解できないことでもない。また北京との対話をすることによってチベット問題そのものが未解決であることを世界の人々に知って貰うという意義も否定できない。

 だが大事なことは、北京政府側に本当にチベット問題を平和裡に解決する意志があるかどうかだ。これが、むしろ北京側の時間稼ぎで、特に上海万博を成功させたいところ、3月10日のチベット決起記念日が近づいたことで民衆の不平不満が爆発するのを回避するための一時的な懐柔策として対話に応じているような格好を示しているのであれば、それはダライ・ラマ法王の誠意を踏みにじることになる。同時にチベットを支援する良識ある世界の人々をないがしろにすることにつながる。

 従ってチベット側も当然のことながら、中国の策略に二度と落ちないよう慎重であるべきなのは言うまでもない。もちろん亡命政府にとって選択の幅が狭いことに加え、誠心誠意努力していることは世界の人々も認めていると思うが、02年のように過剰な期待をせず、譲歩しないことを信じている。また北京政府も場当たりの懐柔政策でチベット人民と世界の人々を騙すのではなく、この問題の真相に真正面から臨むことを問題解決へのチャンスとして捉えて欲しい。

 中国はGDP(国内総生産)の面においては日本を追い越す勢いで、貿易面においても日本の最大の相手国である関係上、中国を的確に把握することは極めて重要であり、中国が世界の常識を重んじる国として振る舞うことが出来るかどうかは日本にとっても無関心でいられないはずである。

 中国とダライ・ラマ法王の代表団が対話へ向けて接触し始めた1979年から30年が経過した。その間、日本や他の先進国の協力を得て、中国は経済的、軍事的、政治的に大躍進していることは事実であるが、覇権主義的、抑圧的、独裁的要素は果たして変わっているのだろうか。北京政府はこのチャンスを活かすべきであり、世界は本当に中国が世界の一員になっているのか厳しく監視する必要がある。

※『世界日報』(2010年2月9日付)より転載

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2009年5月14日 (木)

チベットで拷問される親族

弾圧を続ける中国当局
侵略60年・民衆決起50年に

 昨年のこの時期は日本でもそれまで例の無かったほどチベット問題に対して関心の高まりを見せていた。しかし、今年は残念ながらそのような世間の関心は、高いどころか夢のように忘れられている方々も少なくないだろう。だからといってチベット間題が決着したわけではない。未だに中国当局による弾圧は続けられている。私のいとこ故郷でも従兄弟二人が四月の上旬に逮捕され拷問を受けていたことを最近知った。私の母方の叔父の息子たちである。

 彼らは他の数人と一緒に「チベット独立万歳、ダライ・ラマ法王万歳」と中国人の前で叫んだことが逮捕の理由になっている。そして厳しい拷問のきっかけになったのは彼らに対し、誰があなたたち、にそのような思想を吹き込んだかと尋問され、その関連で家宅捜索を受けたとき私の母たちの写真が見つかり、海外にいる分離主義者との関わりを持っていると決めつけられ厳しい追及とともに暴行を受け、現段階では連絡も取れない状況になっている。

 私は以前からチベット国内の親戚などには一切接触しないようにしていた。その理由はたとえ政治的でなくとも当局によって言い掛かりをつけられ、迷惑が掛かると思ったからである。しかし、そのような私の姿勢に対し母たちや他の親戚からも冷たいと叱られた。中国は一時、柔軟政策を取って国内外の親戚訪問などを促進していた。私は勿論これは罠であると疑っていた。一時、北京政府は海外にいる要人の親戚などに名誉職などを与え、特に海外人権団体などからの批判を回避するため特別に優遇していた。

 最近、世界各地でチベット仏教およびダライ・ラマ法王の理解者で民主主義者を名乗る中国人が増えており、法王のお出掛け先には中国人の行列ができる現象が起きている。勿論、純粋な人々も多いだろうが、私は当局の司令を受け潜り込んでいる輩も少なくないと疑っている。しかし、それを厳密に見極めるための調査機関などチベット側は持っていない。

 チベット支援団体の中にもチベットの独立を妨害し、チベットの民族自決権を阻止させるような言動を取る疑わしい人物も現れているが、このような人物についてもチベット側としては充分に調査し、その背景にまで言及していくだけの能力を持っていない。亡命政府が通常の独立国家と違い、独自の強い調査機関を持てないのも一つの弱点である。共産主義者の優れた戦術の一つとして潜伏という方法があり、生き物に例えると寄生蜂のように青虫などの幼虫に卵を生み付け、かえった寄生蜂の幼虫が青虫を食い尽くし最後に蜂になるように、相季を弱体化させ死に至らしめるものである。

 従って、私たちは誰が本当の敵であって、誰が味方であるかということに関しては、慎重に相手の言動を見極めるのみならず、相手を取り巻く周囲の環境や、過去のつながりなどにも注意を払う必要があるように思う。チベット問題はそう簡単に解決できないと思うが、同時にそう簡単に中国の思うように消滅するとも思えない。中国が経済的・軍事的に力を得て覇権を狙うようになればなるほど国際社会の警戒心も増すであろうし、同時に中国のアキレス腱の一つであるチベット問題の重要性も増してくると思うからである。

 欧米諸国は北京との経済的関わりを重視しながらも政治的・軍事的警戒心を疎かにすることなく、チベット問題にも高い関心を示しつつある。その一つの例として各国の政府は北京に対し柔軟な姿勢を取る一方、議会はチベット問題に対して中国の弾圧を非難する声明などを採択している。

 今年は中国によるチベット侵略六十周年である。そしてダライ・ラマ法王がインドに亡命し法王を中国当局の拉致から守ろうとしてラサで民衆が決起してから五十年になる。ダライ・ラマ法王はこの五十年の中国の支配を「チベットの地上における地獄化」と表現していらっしゃるが、中国は人民を解放し「チベットを地上の天国」にしたと大々的にそれを祝う行事を行い、マスコミなどに派手に広報している。

 その一方でチベット全土において厳戒態勢を敷き、亡命政府の入手した情報によると北京政府は昨年デモに参加した二名に死刑を宣告し、他の二名には執行猶予二年の死刑判決を下したとされているが、これは氷山の一免で、まだ数千人の政治犯が毎日厳しい拷問を受けている事実は極めて深刻な間題だ。.世界第三位の経済大国にのし上がった中国の実体に目を向けることが世界平和の維持にも大事なことではないだろうか。

 ダライ・ラマ法王は「できれば善、良い行いを沢山するよう。少なくとも悪事に加担し悪を行わないことが大切である」とお釈迦様の言葉をしばしば引用される。私も祖国、特に子孫のために善を行えずとも悪に加担せずという気持ちで、時と場合によっては何もしないことが良いことであるという姿勢で今チベット問題をはじめ、世の中の現象に少し慎重に行動をしなければと思っている今日この頃である。

※『世界日報』(2009年5月4日付)より転載。

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2009年2月 6日 (金)

チベット特別大会議

 二〇〇八年一〇月中旬、ダライ・ラマ法王は自身が推進してきた中道の路線、北京政府との対話による真の自治の実現が中国の不誠実な対応で困難になったのでもう一度チベット国民の総意を問い直したい、と議会と内閣に特別チベット大会議の招集を命じた。この招集はチベット亡命政府の臨時憲法である憲章第五九条に基づくものである。法王はさらに一一月初旬、日本を訪問した際も「中国の指導部に対し失望した。自分の方針は失敗であった。失敗は失敗として認めなければならない。したがってチベット国民に対し、もう一度総意を確かめる必要がある」と記者会見で述べた。

 亡命チベットの議会は直ちに特別大会議を招集し、一〇月一七~二二日、インドのダラムサラで五八○名の参加によるチベットの中国への対応の基本路線とチベットの将来について真剣かつ率直な討論を行った。一七日に正副議長の主催のもとサムドン・リンポチェ主席大臣(総理大臣)の来賓挨拶と議長から大会の趣旨説明を行った後、一五の分科会に分かれ、二〇日まで三日間激論が交わされた。

 中国との対応については、とくに今回北京政府側がダライ・ラマ法王の特使らとの会議でそれまでの態度を一八○度変え、法王はチベットの人民を代表して交渉する立場にないゆえチベットの自治など要求する立場にもない、と過去八回行われてきた協議をひっくり返すような態度に出たことに、怒りと批判が噴出した。大会中、中国の不正に対し、独立しか道はないと主張する人も数多くいた一方、現実的に客観状況などを踏まえ自治を引き続き求めていくことが妥当であるという意見もあったが、最終的にはあくまでも非暴力の手段によるダライ・ラマ法王にすべてを一任し、法王の意思に従うという形でまとまった。そして北京政府が全チベット(本来のチベットの領土)が一つであるということと、ダライ・ラマ法王が唯一正統な代弁者であるということを認めない限り、対話を中断するということで落ち着いた。その他、法王の後継者問題や亡命政府の教育方針など将来に関する問題についても言及した他、二〇〇九年は亡命生活、チベット決起五〇周年に当たり、チベットの各支援団体を通じてEU、国連などでもチベット問題を積極的に訴える一方、中国人民との交流を深め理解と支援を求めていくことも決議に加えられた。

 ダライ・ラマ法王自身は会議の中立性を重視し、大会には出席しなかったが、大会終了後の謁見で、それまでの方針についての説明と今後もダライ・ラマは死ぬまでチベットの法王としてその義務を果たすと力強い決意を述べ、中国に対しても指導部には失望したが国民への信頼を失ったわけではないと強調して、今後も中道路線を継続するという強い意志を表明した。  (ペマ・ギャルポ)

※『海外事情』(拓殖大学海外事情研究所、2009年1月号)より転載。

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